7-19 続・前肩さがり、後肩あがり

前肩下がり、後肩上がりの癖は、小林先生の言によれば江戸時代に朱子学の影響を受けて中国射法の極意書である「射学正宗」の妄信的な勉強が災いしたものではないかと書かれています。
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7-18 前肩さがり、後肩あがりを矯正する

自分の射は、前肩さがり、後肩上がりの癖があり、これを直そうと思っていますが、これが頑固でなかなか直らないのです。この四方山話にもそのことは何度も書いています。「彫像の粘土細工」の話も「押し引きの対称性」のことも、それを意識したものであり、小林先生の「竹林射法七道」では、このことがこれでもかとくどいほど書かれています。
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7-17 押しと引きの対称性

押しと引きは対称か、それによって肩は水平になるのか、肩甲骨は対称になるのか考えてみたいと思います。
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1-17 弓道の修行と彫刻の類似性

弓道の修行は粘土の彫像つくりに似ていると思います。
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3-25 濁水の射、澄水の射

「水は高きより低きに流れ、低きに溜まる。清水を注がなければ、濁水となりて澄むことなし。」
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12-12 射法図解にトランクスを

射法図解は本当によくできていて凄い絵だと昔から思っていましたが、電車の中で見るには一寸恥ずかしい。
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当流弓具の習い

紫紐二本継指(左)と全て共色(右)の諸ガケ
▲紫紐二本継指(左)と全て共色(右)の諸ガケ

弓術教場訓の稿で列記した小笠原流の免許は、それぞれ使用を許される弓具の名がつけられています。言い換えれば、ある段階の免許を受けると、それを表す弓具の使用を許されるのです。例えば、最高格の免許を受けた門人でなければ重籐弓を使うことは出来ません。儀式等でやむを得ず格下の門人が重籐弓を使用せねばならないときは、宗家より「当日限り重籐弓免許す」と申し渡された上で使用します。
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小笠原流の免許

宗家は教場で門人の指導に当たられますが、実際には全国に分布する門人が、本部ともいえる宗家の教場だけで稽古することは不可能です。そこで、宗家の許可を受けた者が指導に当たる支教場が設けられました。
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弓術教場訓

小笠原教場では弓道場と言わず、弓術教場と言います。これは、道は教わるものではなく自分で歩くものであり、術はその道を歩くために習うものであるという理念によります。
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小笠原家弓法書

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▲小笠原家弓法書

日本武道全集以外にも一般に公開された小笠原流弓術の伝書がありました。昭和50年11月28日発行の「小笠原家弓法書」です。これも先代宗家(弓馬術礼法小笠原教場30世宗家小笠原清信)の筆によります。和綴じの書籍で弓法篇と射礼篇の2冊組になっています。古書店では見かけないので、残念ながら入手はかなり難しいと思われます。
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小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

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