現代の騎射
騎射と言えば流鏑馬というくらい、今日馬上で弓を射る技の代名詞が「やぶさめ」となりましたが、これは「やばせむま」の訛化だとも言われています。小笠原流弓馬術礼法公式Webサイトの騎射解説によれば、流鏑は「鏑を飛ばす」ということで、流鏑馬は「馬(むま)を駆せつつ鏑矢を射る」意とのことです。
この流鏑馬を始めとした騎射の伝統を今に伝えるのは当流と武田流だけとなりました。武田は甲斐の武田信玄を生んだ家系ですが、その祖は小笠原流と同じく清和天皇(つまり清和源氏)です。このように元々同祖であった小笠原と武田の間にも800年の歳月が流儀の違いを生みました。
現在の武田流は細川流とも呼ばれます。これは武田家が絶えるときに姻戚関係にあった細川藤孝に道統を託したためです。その後、細川家は家臣の竹原家に武田流の一切を預け、現在は47代師範竹原陽次郎氏の下「武田流騎射流鏑馬保存会」(熊本県重要無形文化財)によって熊本で流儀が維持されています。
もう一つ武田流の団体として「社団法人大日本弓馬会」が鎌倉にありますが、こちらは44代師範竹原惟路氏の代見役(現代弓道講座に拠れば松井元男爵家の門人)井上平太氏の弟子である金子氏が興したものです。師範である竹原家に対して、金子氏は「司家」を名乗っています。
この大日本弓馬会は、自らが武田流の道統を受け継いでいると主張し、更に小笠原流の道統が備前小笠原家とともに既に絶えたと断定しています。つまり現代において唯一無二の騎射伝統保持者を自認しているわけですが、竹原家も小笠原家もその存在すら認めず、自身のみが正統という主張は少々大人げないように思います。
一方、武田流騎射流鏑馬保存会の「道統と系譜」には、金子氏は間違いなく武田流の門人であると記されていますが、やんわりと金子氏は道統の継承とは無関係であることが読みとれます。こちらの方は実に紳士的ですね。
それはさておき、最近は古流の流儀に拘らず自由に乗馬と弓射を楽しむ人達(馬上武術マニアとでも呼べばいいのでしょうか?)も現れたようです。入門することに堅苦しさを感じるのか、娯楽的スポーツとして的中を競ったり、思い思いのコスチュームで着飾ったりする方向性のようです。
こういった遊びにもの足らなくなった人達が今後古流の門を叩くようになれば、貴重な伝統文化継承者の裾野も広がるかもしれません。ただ、先生や兄弟子との上下関係を煩わしいと思ったり、単調で辛い基礎稽古を避けているだけの遊びだとしたらそれまでですが。
峯 茂康 | 2007/01/14 日 14:01 | comments (1)
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コメント
肥後細川家には、ガラシャ夫人を介錯した小笠原秀清の子孫が家老格の家柄として続いていました。この家の装束は金子さんの方に譲られたらしいです。鎌倉系の指導を受けた映画の弓射はリアルです。
ちなみに、吉田重勝(雪荷)が小笠原秀清(少斎)に故実・礼式を学んだので、この流儀には小笠原系の教えも入っています。