はじめに
まず「御家伝之書籍又ハ御口授之條々他見他言仕間敷之事」、そして「不立文字」が小笠原流の習いです。
これは決してケチ臭い出し惜しみではなく、こうしないと流儀の正しい継承が難しくなるという純粋な理由によります。
マニュアル本のような「文字」や、ただでさえ誤解を生みやすい「言葉」に拠っていると、時を経る間に流儀が変化し誤った形で伝わりかねません。師のそばで薫陶を受けていてさえ困難であるのに、文字や言葉だけで術は身につきません。
従って門人である私が小笠原流についてここで記事を書くことは厳に慎まねばなりません。
しかし一方で、当流について誤った理解(というより無理解)が弓界においてさえ見受けられることを常々残念に感じておりましたので、過去に出版され絶版となった当流関連の書籍についての抄録のようなものを紹介することは意味があるのではないかとも考えました。
そこで「過去に一般の方が入手可能な形で出版された書籍の範囲内」という判断基準を設けて記事を書くことに致しました。この内容の線引きについては2003年に書いた最初の記事である「古武術を学ぶ」にも掲載しましたが改めて緒言に記す次第です。(以上2011年2月追記)
さて、私が初めて弓を手にしてから35年が過ぎようとしています。
昭和52年に中学校の弓道部に入部し、徒手体操から弓の稽古を始めました。これは弓を習ったことのある方は恐らく一度は体験されているでしょうが、手に何も持たずに弓を引く動作を真似するだけなのに結構難しいのです。最初のうちは手足が思うように動かず、ぐにゃぐにゃとタコ踊りのようになってしまう自分が情けなくて相当ヘコみます。
私の母校では、上達の遅い新入部員だと半年くらいこれをやらされます。そして、殆どが挫折します。だいたい100人近く入部して、引退するときには一学年が十数名になります。厳しいですね。今どき高校や大学の弓道部でこんなことをしたら間違いなく部員不足で廃部でしょう。
以来、中学・高校・大学と弓道漬けの生活を送りましたが、社会人となってからは一転して仕事の片手間に弓を引くようになり、いつの間にか“片手間期間”の方が長くなってしまいました。
私は弓でメシを食っている「プロの射士」ではないので弓は片手間で当たり前ですが、それにしてもホントに思い出したようにしか稽古をしません。童話の「三年寝太郎」のようなもんです。たまに起き出しては弓を引き、気が付くとまた寝ていると言った具合です。
とは言え、稽古せずに寝ているときでも弓のことはちゃんと考えてるんですよ。座右の銘は「射法は寝て待て」です。
まあ、多くの学生弓道部員のように社会人になったとたんに弓を捨ててしまわなかっただけでもヨシとするか、といった程度に私は弓を続けているわけですが、常時「風前の灯火」状態ではありますね。
では何故、その今にも消えそうな炎が灯し続けられたのかというと、それは小笠原流弓馬術礼法との出会いがあったからです。
そんなわけで、寝ながら考えた小笠原流の歩射弓術についてムニャムニャと寝言のように書き連ねてみたいと思います。
これは決してケチ臭い出し惜しみではなく、こうしないと流儀の正しい継承が難しくなるという純粋な理由によります。
マニュアル本のような「文字」や、ただでさえ誤解を生みやすい「言葉」に拠っていると、時を経る間に流儀が変化し誤った形で伝わりかねません。師のそばで薫陶を受けていてさえ困難であるのに、文字や言葉だけで術は身につきません。
従って門人である私が小笠原流についてここで記事を書くことは厳に慎まねばなりません。
しかし一方で、当流について誤った理解(というより無理解)が弓界においてさえ見受けられることを常々残念に感じておりましたので、過去に出版され絶版となった当流関連の書籍についての抄録のようなものを紹介することは意味があるのではないかとも考えました。
そこで「過去に一般の方が入手可能な形で出版された書籍の範囲内」という判断基準を設けて記事を書くことに致しました。この内容の線引きについては2003年に書いた最初の記事である「古武術を学ぶ」にも掲載しましたが改めて緒言に記す次第です。(以上2011年2月追記)
さて、私が初めて弓を手にしてから35年が過ぎようとしています。
昭和52年に中学校の弓道部に入部し、徒手体操から弓の稽古を始めました。これは弓を習ったことのある方は恐らく一度は体験されているでしょうが、手に何も持たずに弓を引く動作を真似するだけなのに結構難しいのです。最初のうちは手足が思うように動かず、ぐにゃぐにゃとタコ踊りのようになってしまう自分が情けなくて相当ヘコみます。
私の母校では、上達の遅い新入部員だと半年くらいこれをやらされます。そして、殆どが挫折します。だいたい100人近く入部して、引退するときには一学年が十数名になります。厳しいですね。今どき高校や大学の弓道部でこんなことをしたら間違いなく部員不足で廃部でしょう。
以来、中学・高校・大学と弓道漬けの生活を送りましたが、社会人となってからは一転して仕事の片手間に弓を引くようになり、いつの間にか“片手間期間”の方が長くなってしまいました。
私は弓でメシを食っている「プロの射士」ではないので弓は片手間で当たり前ですが、それにしてもホントに思い出したようにしか稽古をしません。童話の「三年寝太郎」のようなもんです。たまに起き出しては弓を引き、気が付くとまた寝ていると言った具合です。
とは言え、稽古せずに寝ているときでも弓のことはちゃんと考えてるんですよ。座右の銘は「射法は寝て待て」です。
まあ、多くの学生弓道部員のように社会人になったとたんに弓を捨ててしまわなかっただけでもヨシとするか、といった程度に私は弓を続けているわけですが、常時「風前の灯火」状態ではありますね。
では何故、その今にも消えそうな炎が灯し続けられたのかというと、それは小笠原流弓馬術礼法との出会いがあったからです。
そんなわけで、寝ながら考えた小笠原流の歩射弓術についてムニャムニャと寝言のように書き連ねてみたいと思います。
峯 茂康 | 2003/10/01 水 00:00 | -
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