home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-1 大円覚とは円相の心である

大円覚とは竹林流の射法の原点であり、「大日の曲尺」のことをいいます。四巻の書の序文には、「弓道を習おうとする人々は、数多く(108)の煩悩や、計り知れない重罪をも全て直ちに消し去って澄みやかな気持ちにならなければなりません。そして大円の覚りである佛(仏と云う字は弓と2本の矢を持った人と書く)の弟子となり先生の教えを信じ、伽藍(道場)を住家として修行にはげめば、命永く誠の心をもって達成できる」とあります。
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1-2 我は大日如来なりと思うべし

古書に曰く「目中(めあて)に用いる日月身と云う心は、我は大日如来と思うべし」これを「大日の曲尺」と云う。
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1-3 自分の力に合った弓を使うこと

弓道の修行において、自分の力に見合った強さの弓を使うことが極めて大切なことであり、竹林流の奥義書の冒頭の序文の後に、弓をこれから修行する人のためにやさしい激励の云葉があります。
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1-4 弓身意の三位一体について

弓力と身体と気持ち(精神)の三つが調和しないと、正しい行射ができないと古書にかかれています。
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1-5 弓弦矢の調和について

前回の話の続きに、弓・弦・矢のバランスがあります。強い弓にには太い弦が丁度良く、重い矢がつりあうこと。弱い弓には細い弦が合い、軽い矢が釣り合うという、当然のことです。これは道具の相応の釣り合いであり、よく心得る必要があります。
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1-6 コツと骨法とウエイトリフテイング

「コツを掴めば、コツを覚えれば、楽にできる」という云い回しは弓道用語からきたのではないでしょうか。コツを掴むとはやり方の要領を掴むことですが、日置流や竹林流の骨法から来た云葉のように思います。道場にかかっている吉見順正(紀州竹林派)の射法訓の冒頭に、「射法は弓を射ずして骨を射ること最も肝要なり。」と云っています。
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1-7 五行陰陽道について

射法訓の最後に「金体白色西半月の位なり」と云う難解な云葉があります。この意味は長い間判りませんでしたが、古書に五輪砕き(くだき)として、五行陰陽道のことが書かれていましたので、よくは判りませんながら、我流の解釈をしてみましょう。
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1-8 夢中と覚醒と無念夢想

心技体については弓道教本1巻の序論や4巻(村上先生)に書かれています。私も凡人ながら弓の楽しみとしての気持ちについてまねごとを書いてみたいと思います。
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1-9 弓道の幻影

弓道の達成と云うのは、道路の逃げ水のように追いかけても追いかけても追いつかないように思える、あるいは二十日ネズミの回転車のようにいつまでたっても進歩せず、くるくると堂堂巡りしているようにも思えます。
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1-10 射法訓に前文がありました

弓道リンク「弓道の誘い」、「日本弓道の精神」と言うところに、奈良県の松岡先生が弓道教本の「射法訓」には前文があり、前文を含む全文を載せ、竹林流の吉見先生の略歴とともに、射法訓の真髄を解説しています。
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