home >  弓道四方山話 > 巻の拾壱 「流水の巻」

11-3 竹林流の射法

私の学んだ流派は尾州竹林流と言います。江戸時代の初めに僧籍である石堂竹林坊如成が四巻の書(一遍の射)を伝えて、日置流竹林派と呼ばれました。

竹林流の射法は、日置流各派、吉田流の斜面と異なり、むしろ正面打ち起しと似通った射法です。

竹林流の取り懸け、手の内は正面打ち起しと同様に正面で丸く円相に構えます。弓構えは羽引きをしたまま、ほぼ平行に左へ送り、ここで引きません。押し手は肱をやや曲げて左脇腹に、勝手は体の中央で肘に張りをもたせます。この時は左に送った分だけ弓構えはひし形になりますが、これを弓懐と云い円相に構えるのが、日置流各派と大きく異なり正面打ち起しに近いのです。

これを「剛の弓懐(きゅうかい)、繋(かけ)の弦道(つるみち)」といいます。

打ち起しは斜面に引き分けながら、勝手は肘を張ったまま、弓構えから真っ直ぐ上に(左乳の上を通って)反り橋に上げ、大三を取ります。この大三およびそれ以降は正面と全く同じ位置です。

すなわち弓構えから大三に打ち起こす間を正面では縦に上げてから横に大三に至るのに対して、竹林では横に移行してから縦に上げる順序が異なるのです。

この打ち起しの違いの特徴は、竹林流は押し手、勝手の手の内が決まり易く、弓手の勢いを持たせるのに都合が良い反面、肩の十文字が崩れやすいのが欠点であるように思われます。本多翁が近代化のために変更したのはこの辺であろうと思われます。

また、押手の肘は棒のように伸ばしきるのを「突く」と言って嫌います。当流の押手の肘は「猿臂の射(えんびのしゃ)」と言って猿腕のように、円相に構えた肘のまま、肘に弾力を持たせたまま引き分けるのを大事とします。これは会から離れにおいて押手に伸び合いの余地を持たせるためと思われます。

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