home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-2 我は大日如来なりと思うべし

古書に曰く「目中(めあて)に用いる日月身と云う心は、我は大日如来と思うべし」これを「大日の曲尺」と云う。
めあてに用いるとは正しく的中するためにという意味であり、そのためには自分は大日如来であると思いなさいと書いてあります。大日

如来は天地の中央にありて、何も恐れるものもなく堂々と涼やかにおわすものです。

我も弓のうらはずと本はずの中央にありて、陰陽の中央にある大日如来にあれば、何の恐れるものも無く如何なる儀式でも貴人の前にても、恐れる事なかれと云わんがためである。

どんな熟練の達人でも、恐れる気持ち(萎縮、臆する、入れ込み)があるときは、とかく仕損じるものであるので、心をゆるりと筋骨も伸びやかに、悠然と行うのがよい。

この「大日の曲尺」は、大試合のここ一本というとき、上がらないためのおまじないとしても大いに効き目があると思います。緊張のあまり足がガタガタするとき、弓構えにおいて小さな声で「我は大日如来なり」と口の中で呟き、自分に云い聞かせます。そうすれば気は丹田に沈み、悠然とした気持ちになれるはずです。

コメント

巻藁範士様 コメントを有難うございます。先日も女性の方が大会ではあがってしまうとお話になっていましたね。お役にたてれば幸いです。
櫻井孝 | 2019/03/28 17:16
ワタシにはぴったりのおまじないです😅
巻藁範士 | 2019/03/27 21:35

この記事へのコメントはこちらのフォームから送信してください

記事カテゴリ
最近のコメント
recommend
小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

著者プロフィール
過去の記事
others
東海弓道倶楽部