3-25 濁水の射、澄水の射
射法においてもこうすればよく中るといって、自分勝手に決め付けて肩を固め、矢が前に飛べば後ろに狙いをつけて、ただ同じ引き方を繰り返す射人は濁水の射です。日を追ってますます濁るが澄むことはありません。この中りは調子中りといって長続きするものではなく、矢勢はよわく、骨が曲がって緩みとなり、ついには頑固な悪癖を身につけてしまい、一生涯直らないものとなります。
この濁水を澄ませるには、清水を絶え間なく流しつづけると、次第に澄んで終いには透き通るようになります。
弓道においてもこれと同じであり、これに注ぐ清水とは良き師匠の正しい指導のことであり、それによって十文字の曲尺、骨法にかなった真っ直ぐな射、すなわち澄水の射となります。
ただし、濁水の射に至る原因はすべて自己流の心にあるので、心を洗い流さない限り、師匠の指導もただ流れてしまうだけです。
櫻井 孝 | 2003/12/01 月 00:00 | comments (0)
| -
コメント