8-16 一分三界ということ

昔の伝書に「一分三界」という言葉があります。解説によれば、一分は3mmの小さい寸法ですが、これを「過去、現世、未来」という広大な世界のようにみて、そのなかの一分に狙いを付けるようにとありました。
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8-15 的付けは明確である

「的付けにおけるあいまい性」という弓道の論文をよみました。論文は幾何学的にアプローチし、実験まで行って、理科系的手法で説明しているのですが、自分の考えと一寸違う方向に展開されているので、自分の意見を述べてみます。
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5-17 射法と懸けの関係

弓道誌の7月、8月号に「射法と懸けの関係について」という題名で、故魚住文衛先生(恩師)の弓道論文が掲載されています。文衛先生は5年前に逝去されましたので、これはご子息である愛知県連会長の魚住一郎範士が編集されての執筆です。
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8-14 的に囚われるなとは

弓道の修行において、「的に囚われないように」ということを聞くことがあります。そしてこの言葉の対の言葉として、体が嵌って気力の充実を優先するべきだという考え方を聞くこともあります。確かに、的に拘泥せず、骨法と気を充実させるというとなぜか射品が高いような雰囲気があります。
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7-23 物見(頭持ち)の過不足

話の展開から物見の過不足と書いてみたものの、物見が過ぎて弊害になる人は殆どなく、100人に1人程度でしょう。
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7-22 肩の出入りの過不足

初心者のころは肩を強く働かせようとすると、前肩、後肩があがって詰まってしまい、ロダンの「弓を引くヘラクレス」のようになってしまいます。
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7-21 過ぎたるもの及ばざる如し(矢番え)

弓道の心はすべて中庸であり、過ぎたるものは及ばざる如し。

たとえば「矢番えに上下の口伝これあり」、矢筈を上に番える時矢は下に飛ぶ、下に番えるときは逆に上に飛ぶ。修行を積んでくると、狙いというものは微妙なものであり動かしにくいので、この現象を利用して微調整することが、江戸時代から伝えられています。
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4-22 押手の捻りの過不足(及)

弓道の難しさは、「楽にして強く働かせる」とか、「肩や腕を突っ込まないで強く押す」などのように、一見反対に思えることを同時に行うことにあるように思います。
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4-21 手の内について

手の内について「斜面と混同せず正面の良さを学ぼう(月刊弓道 2004年4月号)」を読んで一寸意見を述べます。自分はこれに議論を挑むつもりはありませんが、これを書いた方は最高位の達人であり、その手の内の写真から素晴らしい凄い射手であろうと推察いたします。だからこの写真を見るだけで非常に勉強になります。しかし、その論文は力学的な力の釣り合いから説明されていますが、自分とは違った見解になっていますので一寸意見を書きます。
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8-13 心の動揺

そもそも弓道の修行はすぐに動揺して収まらない心と体をもって行うものであるので、静止して動かない的を射るだけなのに、なかなか容易ではありません。
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小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

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