home >  特集記事 > 星野勘左衛門 経歴の謎に迫る

1 劇画「弓道士魂」

平田弘史著の「弓道士魂」
▲平田弘史著「弓道士魂」大都社刊

平田弘史著の「弓道士魂」という劇画を以前に読みました。ちょっと記憶が正確ではありませんが、三十三間堂の通し矢の星野勘左衛門茂則や紀州竹林流の武士を中心にした劇画であり、三十三間堂の通し矢にまつわる時代の背景や当時の武士の実態、三十三間堂の構造、通し矢のしきたりなどについて時代考証を忠実に描写し、非常に面白く読み応えのある本でした。
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2 紀州藩通し矢ものがたり

射手の視点で見た堂
▲射手の視点で見た堂

勘左衛門の経歴については、2004年3月号の「弓道」誌に本多流の寒川先生が「紀州藩通し矢ものがたり(4)」という論文を投稿して、勘左衛門の生い立ちが尾州と紀州の二説あり、どちらが本当なのか今後の史料研究を待たねば判らないとして、両説の概要を客観的に述べた上で、「南紀徳川史 五十九巻 武術伝 第一」からの記述を紹介しています。
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3 竹林流正統系譜、名古屋市史人物列伝

星野勘左衛門肖像(名古屋富田家蔵、現代弓道講座第1巻より)
▲星野勘左衛門肖像 名古屋 富田家蔵(現代弓道講座第1巻より)

一方、尾張の文献では、尾州竹林流星野派第11代道統の故富田常正先生の著作「竹林流正統系譜」に系譜と略歴が明白に記述されています。また、魚住一郎先生から頂いた「名古屋市史 人物編 弓術の九」に星野勘左衛門茂則の系譜と経歴が詳細に記述され、同一内容となっています。以下名古屋市史抜粋。
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4 杉山三右衛門という人

堂の肘木に折れ残った矢篦
▲堂の肘木に折れ残った矢篦

改めて富田先生の「竹林流正統系譜」を詳しく調べてみると、紀州ゆかりの射士として石堂竹林貞次の弟子に杉山三右衛門と、佐竹(武)源太夫の名があります。
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5 尾州竹林と紀州竹林の交流

堂の軒下に刺さったままの矢
▲堂の軒下に刺さったままの矢

「竹林正統系譜」にある、佐竹源太夫については「紀州の家士であり、尾張にきて貞次の指南を受け、ついに印可を得て故国に帰り門弟を取る、紀州における竹林流の始祖である」と書かれています。
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6 星野勘左衛門の経歴の誤解

ついに8000本を射通す(弓道士魂351ページ)
▲ついに8000本を射通す(弓道士魂351ページ)

このように分析してゆくと、星野勘左衛門の経歴は杉山三右衛門の経歴と間違えて、あるいは二人の人物をミックスして面白おかしく逸話に作られたものが紀州藩側に伝わり、後に「南紀徳川史」の中に記述されてしまったことも考えられます。
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