多度大社流鏑馬祭 その2
多度大社流鏑馬は参道に馬場を社殿前広場へ向かって設え執行されます。

▲流鏑馬は一尺八寸角の杉板の的を使用する
通常、流鏑馬は百三十八間(約251メートル)の馬場に百二十間(約218メートル)の埒(馬場の柵)を築き、埒の間に幅四尺(約1.2メートル)のさぐり(さくり)を掘って砂を厚く敷きます。この、長さ218メートル×幅1.2メートルの中を馬が約15秒ほどで駆け抜けます。

▲流鏑馬は一尺八寸角の杉板の的を使用する
通常、流鏑馬は百三十八間(約251メートル)の馬場に百二十間(約218メートル)の埒(馬場の柵)を築き、埒の間に幅四尺(約1.2メートル)のさぐり(さくり)を掘って砂を厚く敷きます。この、長さ218メートル×幅1.2メートルの中を馬が約15秒ほどで駆け抜けます。
的は三つ立てます。馬場元(入口)から十七間(約31メートル)のところに一の的、そこから四十二間(約76メートル)のところに二の的、同じくそこから四十二間(約76メートル)のところに三の的を立てます。
的は男埒(弓手側の埒)から一杖(2メートル弱)のところに立てます。射手から的までの距離は思いの外近いものです。
的が近いとはいえ、疾走する馬上で15秒間に三つの的を射抜くのですから、その困難さは想像以上でしょう。一の矢を放ってから二の矢を放つまで5秒以上かかっていては間に合わないのですから、まさに手練れの早技ですね。

▲一の的を射るやいなや、帯に挟んだ二の矢を抜き出す平騎射
今回は騎射3騎、平騎射18騎でした。当流では単に騎射と言う場合は流鏑馬を指し、それに対して平騎射と言えば騎射挟物(きしゃはさみもの)を指します。
騎射挟物とは、江戸時代八代将軍徳川吉宗が制定させた騎射芸です。吉宗は鎌倉幕府以降に衰退してしまった武芸の復興に努めたのですが、その中でも流鏑馬を復興する足掛かりとして式法・装束・技術を改めて(一部簡略化して)独自に創作した方式が騎射挟物なのです。(流鏑馬と騎射挟物の違いについては細野喜由氏のホームページに画像が豊富です)
峯 茂康 | 2004/12/01 水 00:00 | comments (0)
| -
コメント