手の内について「斜面と混同せず正面の良さを学ぼう(月刊弓道 2004年4月号)」を読んで一寸意見を述べます。自分はこれに議論を挑むつもりはありませんが、これを書いた方は最高位の達人であり、その手の内の写真から素晴らしい凄い射手であろうと推察いたします。だからこの写真を見るだけで非常に勉強になります。しかし、その論文は力学的な力の釣り合いから説明されていますが、自分とは違った見解になっていますので一寸意見を書きます。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (0)
| -
弓道の難しさは、「楽にして強く働かせる」とか、「肩や腕を突っ込まないで強く押す」などのように、一見反対に思えることを同時に行うことにあるように思います。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (0)
| -
弓道の心はすべて中庸であり、過ぎたるものは及ばざる如し。
たとえば「矢番えに上下の口伝これあり」、矢筈を上に番える時矢は下に飛ぶ、下に番えるときは逆に上に飛ぶ。修行を積んでくると、狙いというものは微妙なものであり動かしにくいので、この現象を利用して微調整することが、江戸時代から伝えられています。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (0)
| -
初心者のころは肩を強く働かせようとすると、前肩、後肩があがって詰まってしまい、ロダンの「弓を引くヘラクレス」のようになってしまいます。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (3)
| -
話の展開から物見の過不足と書いてみたものの、物見が過ぎて弊害になる人は殆どなく、100人に1人程度でしょう。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (0)
| -
弓道の修行において、「的に囚われないように」ということを聞くことがあります。そしてこの言葉の対の言葉として、体が嵌って気力の充実を優先するべきだという考え方を聞くこともあります。確かに、的に拘泥せず、骨法と気を充実させるというとなぜか射品が高いような雰囲気があります。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 |
comments (0)
| -
弓道誌の7月、8月号に「射法と懸けの関係について」という題名で、故魚住文衛先生(恩師)の弓道論文が掲載されています。文衛先生は5年前に逝去されましたので、これはご子息である愛知県連会長の魚住一郎範士が編集されての執筆です。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 20:47 |
comments (0)
| -
1 /1