home >  弓道四方山話 > 巻の四 「父の巻」

4-21 手の内について

手の内について「斜面と混同せず正面の良さを学ぼう(月刊弓道 2004年4月号)」を読んで一寸意見を述べます。自分はこれに議論を挑むつもりはありませんが、これを書いた方は最高位の達人であり、その手の内の写真から素晴らしい凄い射手であろうと推察いたします。だからこの写真を見るだけで非常に勉強になります。しかし、その論文は力学的な力の釣り合いから説明されていますが、自分とは違った見解になっていますので一寸意見を書きます。

1.私は斜面打起しでも、正面打起しでも射法の基本理念は同一であるので、手の内も全く変わらないが、弓構えの段階で押手と弓の角度が違っているので、手の内を整えるときの弓とのあたり具合が少し異なるだけと思います。しかし、この論文ではあえて異なる認識で整えるべきとの考えです。

2.五重十文字の「弓と押手の手の内」について、「弓手の腕は弓に対して約10度上向きになるので、直角ではない」と書いています。しかし、「手の内の十文字」というのは弓と弓手の腕との関係ではなくて、手の内の握りと弓の関係であると思います。すなわち、押手の手首には剛弱所という関節があり、腕は斜め10度上を向いていますが、手首の関節の先の部分は弓に直角に握るべきであり、このことをいっているのです。

3.上押しの説明において、弓の長さが上下で異なるために弦の張力も異なると説明しながら、最終的には合力は水平になって釣り合うと書かれています。このところは故石岡先生の「弓道の新研究」や稲垣先生、入江先生の研究などに詳細に述べられていますが、弦の合力は約10度上向きに、弓の合力も約10度上向きに作用するので、弓矢を機械的に働かせて放せば、矢はホップして斜め45度前上に飛ぶことが実験などによって解明されています。日本弓道の射法はこれを収めて水平に飛ばすために確立されたものです。すなわち、押手の上押しの働きが加わって、押さえが効くことによって初めて水平に飛ぶようになると思います。だから上押しが不必要とは思いません。

4.弓返りについて「戦前では弓返りのしない有段者など夢にも考えられなかった」と重要な事柄として書かれていますが、江戸時代の達人は三十三間堂の通し矢では弓返りさせず打ちきりで行っていました。むしろ手の内を緩めて弓を回すよりも、離れの瞬間に握りこむべきであると考えています。剣道でも、空手、野球、テニス、ゴルフなど殆どのスポーツはみなその瞬間に握るものであります。私は弓返りをさせようとして、弓手の指を向こうに開いて弓を回す癖が身につくのを恐れます。この場合弓が落ちて、小指が逃げ、下弓が走って上に跳ね返り、矢が暴れます。これが癖になると直すには大変です。

5.写真3での手の内の整え方はむしろ斜面打起しの整え方のように見えます。日置流では一旦すべての指を開いて順次手の内の指を整えますが、竹林流では最初から丸く握る形で整えるのが掟であります。正面打起しの場合にはもっと自然に柔らかく構え、丸く、すっと当てて、すっと握るべきと思います。しかし、この論文に添えられた手の内の写真は素晴らしいものであり、全く異論はありませんので、実際的には同じことかも知れません。

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