7-22 肩の出入りの過不足
少し慣れてくると、前肩を少し押さえ気味にして内側に巻き込んで働かし、後ろ肩を逃げないように抑えて引く要領が判り、そうすると肩の力みを少なくして引き分けるコツが掴めたような気がしますが、この肩の出入りにも、過不足があります。
押手の腕を働かせようとして、前肩を出しすぎると相対的に後ろ肩が逃げて、両肩の線が後ろに開いてしまいますので、馬手が強くなって押手が利かないことになります。
逆に押しての肩を控えすぎて受けてしまうと、相対的に馬手の肩が迎えに行って、小さく縮こまった射になってしまいます。
胴つくりの基本が「胸の中筋と両肩との縦横十文字である」ことは誰でもわかっているはずですが、なかなか実行できていないものです。
この肩の出入りのねじれは、足踏みと腰と両肩の3線が重なる「三重十文字」が崩れていることであります。
「地縄(地紙)に上肩妻肩を重ねよ」、という弓道教歌があります。地縄というのは、家を建てるとき地面に測量して墨縄を入れるように、目で引いた墨縄(墨糸)の上に両足の親指を重ねて踏み開いたところに腰(妻肩)、肩(上肩)の3本を正確に重ねよということです。
また、地紙というのは扇の紙の部分のことです。これは足踏みを扇が60度に開いた状態を想定したものであり、趣旨はおなじです。
このとき「矢の線と両肩の線とが約10CMくらい離れて平行線になるはず」であるのに、「押しての腕と両肩を一直線にすること」が正しいと考え違いしているために生じると思われます。腕と肩を一直線にすると、矢とは平行線ではなく三角形となりますので、平行ではなく、ねじれてしまうのです。
結局、肩のねじれは「五重十文字の1つ、胸の中筋と両肩の十文字」が狂っていることであり、直な胴造りのまま収める必要があります。
胴造りは、座禅のようにどっしりと(大日の曲尺)、袴の腰板がぴたっとくっつくように(袴腰の曲尺)、馬の鞍の上に載るようにまっすぐに、気高くゆったりとした(真の鞍の曲尺)中央の胴造りを基本とします。
中央の胴とは、押手に懸かる懸かり胴でなく、馬手にかかる退き胴でなく、つま先体重の伏す胴でなく、踵体重の照る胴(反る)でもありません。左右前後に偏らず、中央にただ真っ直ぐに立つものです。
櫻井 孝 | 2004/05/21 金 00:00 | comments (3)
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コメント
なるほど、僕の見たのは、確かに、生弓会のHPと、本多利實翁の口述の解説であり、その中に「地紙」で出ておりました、中學集も、そちらからです。この中學集自体が、本多流の元となる、尾州竹林流のものからか、と思っていました。
ありがとうございます。また確認してみます。
コメントを有難うございます。
「妻肩と上肩を地縄に重ねよ」という文章は竹林坊如成が隠居して立ち去ったとき、2代目の竹林貞次に託した秘伝書「中学集」の第一「七道之曲尺之事」の「胴造り」の続きに出てきます。
「地縄」と云うのがオリジナルであり、家を建てるとき地面に墨縄を張って位置を正確に定めるように、胴造りは墨縄に左右の足踏みを重ね、さらに腰骨、両肩の三本の線を重ねよと云うことである。
胴の骨から下げ振りを垂らした時、三本の十文字が重なるようにと云うことから、三重十文字ともいう。
「地紙」というのは本多流生弓会のHPにおいて、本多利実先生の解説があります。開いた扇の紙の部分(地紙)の両端に左右の足を踏み重ねよと云っています。
このように伝書の言葉は、後世の名人達が表現を変えて解説してきたので、少しづつ異なってしまったものと思われます。
僕も、妻肩・上肩・・・のことが気にかかって、いろいろと書物をひっくり返しているのですが、尾州竹林流の四巻の書の中では、行き当たりません。中學集というのに載っているのですか?これも、地紙と出てくるものと、地繩と出てくるものがあり、さて、尾州竹林流ではどっちなのだろう、と疑問に思っています。
ご存知でしたらご教示いただけましたらありがたく存じます。