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【昭和28年〜】第1回愛知県中学校弓道大会優勝を皮切りに

そして昭和28年12月愛知県中学校弓道大会(中学県大会)が初めて開催されるや第1回の優勝を飾り、高校弓道部も同年第1回愛知県高等学校弓道選手権大会で優勝した。
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【昭和33年〜】弓道場拡張工事を経て戦後の黄金時代へ

こうして戦績が向上するに伴い、部員の増加により道場が手狭となり、学校の理解ある援助で昭和33年に五人立ちが出来るよう間口一間(約1.8メートル)を拡張する工事が行われた。
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【昭和45年〜】第二弓道場の建設と夜間照明設備の設置

このように快進撃を続ける東海であったが、道場は2度の拡張工事を経ても中学又は高校の試合前は、片方が的前練習を止めねばならない状況であった。
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【昭和46年〜】弓道衣・袴の着用や春合宿の開始

昭和46年になると、高校では石黒俊太郎君(高25回卒)が県代表選手として8月2日〜5日高知県丸の内高校体育館で開催された第15回インターハイに出場した。
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【昭和49年〜】第1回全国中学生通信弓道大会で全国優勝

当時の中学県大会は五人立・一手5回による50射を競うもので、東海が8連覇出来たのは選手層の厚さに加え、それを支えた多くの部員諸君のチームワークによるものであった。
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【昭和56年〜】十人立大弓道場の建設

この頃から中学高校合わせて部員数100名を超すようになり、練習に支障が多くなったため、学校当局の配慮と山田弾六会長を中心とする東海弓道倶楽部の熱烈なる援助で、昭和56年間口十間(約18メートル)・奥行七間(約12.6メートル)の十人立大弓道場が新築された。
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【昭和58年〜】第1回全国高等学校弓道選手権大会地区代表の座を獲得

特に昭和57年優勝した東海は、翌58年から始められた春の全国大会への出場権を目指し、2月に名古屋市営弓道場で開催された第1回東海地区大会でも金田陽介・飯田耕三・鈴木達康(高36回卒)・岩間正晃(高37回卒)君らが見事優勝した。
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正射正中を目指して

弓道は心技体の一致が必要であり、その極致を一射一射に実現しようと修練を重ねている。そのような弓道精神を通して人間形成を目指している東海弓道部の厳しい中にも楽しさのある雰囲気は、ここに記載できなかった歴代の部員諾君の努力を通して伝統となって培われたものである。
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はじめに

まず「御家伝之書籍又ハ御口授之條々他見他言仕間敷之事」、そして「不立文字」が小笠原流の習いです。

これは決してケチ臭い出し惜しみではなく、こうしないと流儀の正しい継承が難しくなるという純粋な理由によります。

マニュアル本のような「文字」や、ただでさえ誤解を生みやすい「言葉」に拠っていると、時を経る間に流儀が変化し誤った形で伝わりかねません。師のそばで薫陶を受けていてさえ困難であるのに、文字や言葉だけで術は身につきません。

従って門人である私が小笠原流についてここで記事を書くことは厳に慎まねばなりません。

しかし一方で、当流について誤った理解(というより無理解)が弓界においてさえ見受けられることを常々残念に感じておりましたので、過去に出版され絶版となった当流関連の書籍についての抄録のようなものを紹介することは意味があるのではないかとも考えました。

そこで「過去に一般の方が入手可能な形で出版された書籍の範囲内」という判断基準を設けて記事を書くことに致しました。この内容の線引きについては2003年に書いた最初の記事である「古武術を学ぶ」にも掲載しましたが改めて緒言に記す次第です。(以上2011年2月追記)

さて、私が初めて弓を手にしてから35年が過ぎようとしています。

昭和52年に中学校の弓道部に入部し、徒手体操から弓の稽古を始めました。これは弓を習ったことのある方は恐らく一度は体験されているでしょうが、手に何も持たずに弓を引く動作を真似するだけなのに結構難しいのです。最初のうちは手足が思うように動かず、ぐにゃぐにゃとタコ踊りのようになってしまう自分が情けなくて相当ヘコみます。

私の母校では、上達の遅い新入部員だと半年くらいこれをやらされます。そして、殆どが挫折します。だいたい100人近く入部して、引退するときには一学年が十数名になります。厳しいですね。今どき高校や大学の弓道部でこんなことをしたら間違いなく部員不足で廃部でしょう。

以来、中学・高校・大学と弓道漬けの生活を送りましたが、社会人となってからは一転して仕事の片手間に弓を引くようになり、いつの間にか“片手間期間”の方が長くなってしまいました。

私は弓でメシを食っている「プロの射士」ではないので弓は片手間で当たり前ですが、それにしてもホントに思い出したようにしか稽古をしません。童話の「三年寝太郎」のようなもんです。たまに起き出しては弓を引き、気が付くとまた寝ていると言った具合です。

とは言え、稽古せずに寝ているときでも弓のことはちゃんと考えてるんですよ。座右の銘は「射法は寝て待て」です。

まあ、多くの学生弓道部員のように社会人になったとたんに弓を捨ててしまわなかっただけでもヨシとするか、といった程度に私は弓を続けているわけですが、常時「風前の灯火」状態ではありますね。

では何故、その今にも消えそうな炎が灯し続けられたのかというと、それは小笠原流弓馬術礼法との出会いがあったからです。

そんなわけで、寝ながら考えた小笠原流の歩射弓術についてムニャムニャと寝言のように書き連ねてみたいと思います。

古武術を学ぶ

私の通った中学校は名古屋にある中高一貫の私学で、どの運動部も大抵は中学高校一体となったクラブでした。入部してから5年間(一応進学校だったので現役部員は高校2年生まで)ずっと同じ指導者について稽古できるというのは、どのクラブでも他校に比べて大きなアドバンテージでした。
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小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

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