home >  射法は寝て待て > 歩射

古武術を学ぶ

私の通った中学校は名古屋にある中高一貫の私学で、どの運動部も大抵は中学高校一体となったクラブでした。入部してから5年間(一応進学校だったので現役部員は高校2年生まで)ずっと同じ指導者について稽古できるというのは、どのクラブでも他校に比べて大きなアドバンテージでした。

それに加えて弓道部は大正7年創部でOBの層も厚く、称号者のOBによる指導や支援も活発でした。そして、そういったOBの中には小笠原流の高弟もおられました。そのため、社会人となってから小笠原流の門を叩き、弓を引き続けるOBも多いのです。かく言う私もその一人です。

進学する大学によっては、その弓道部が小笠原流の師範を戴いていたりすると学生時代から門人となってしまう強者もいて、それらを合わせると名古屋では地域の門人における我が校OBの比率は相当高いものと思われます。

そういった環境もあって、我が校弓道部の射は小笠原流の流れを汲んでいるのだと、中学高校時代の私は勝手に思っていました。まあ、連盟の弓道教本風に言うと「礼射系正面打起し射法」イコール小笠原流、つまり「正面に打起して一足で足を踏み開けば小笠原流だ」という程度の認識です。素直なもんです。

しかし、古流を伝承するということは、そんな単純で簡単なことではないはずです。過去数百年間に先達が蓄積した術理や心構えなどの教えは決して軽いものではありません。

私は、これから小笠原流歩射弓術を中心に古流弓術について調べたり実践したことを書いていこうと思いますが、最初にお断りしておくことがあります。

それは、ここに掲載された内容は全て私の私見であり、小笠原流を始めとした古流の宗家(家元)等による口伝や奥義といった門外不出情報の漏洩ではないと言うことです。

古武術では、小笠原流に限らず口伝を授けられるときには、門外不出を守らねばならないのは当たり前でした。

そもそも口伝というシステムは正確な術の伝承に不可欠なものであったと思いますが、時代が下り武芸に限らず多くの芸事で師範が生計を立てるための手段としても利用されるようになったのではないでしょうか(ちなみに小笠原家には流儀の教授を生業としないという家訓があります)。

近代になっても小笠原流では流儀を文章にして公開することはありませんでした。そのため、恐らく小笠原流の弓術に関して書かれた書物を目にすることは殆どないはずです。

私も10年ほど前に小笠原流同門会に入会して以来、門人の末席にあるとはいえ伝書を拝見する格には遠く及ばず、書物と言えば一般の書籍を頼りにしております。

しかしそれは、逆に、これまでに書籍や小冊子として印刷・公開されてきた部分までは宗家の了解を得て公開されたとも言えるわけですし、それらに私自身が兄弟子と議論・研究したことなども加えて、自分なりに消化した記録を書いておきたいと思います。

まあ、非常に不定期(笑)な、稽古日誌のようなもんですね。

コメント

この記事へのコメントはこちらのフォームから送信してください

記事カテゴリ
最近のコメント
recommend
小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

著者プロフィール
過去の記事
others
東海弓道倶楽部