home >  弓道四方山話 > 巻の七 「十文字の巻」

7-21 過ぎたるもの及ばざる如し(矢番え)

弓道の心はすべて中庸であり、過ぎたるものは及ばざる如し。

たとえば「矢番えに上下の口伝これあり」、矢筈を上に番える時矢は下に飛ぶ、下に番えるときは逆に上に飛ぶ。修行を積んでくると、狙いというものは微妙なものであり動かしにくいので、この現象を利用して微調整することが、江戸時代から伝えられています。
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7-22 肩の出入りの過不足

初心者のころは肩を強く働かせようとすると、前肩、後肩があがって詰まってしまい、ロダンの「弓を引くヘラクレス」のようになってしまいます。
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7-23 物見(頭持ち)の過不足

話の展開から物見の過不足と書いてみたものの、物見が過ぎて弊害になる人は殆どなく、100人に1人程度でしょう。
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7-24 体を硬くする柔らかくする功罪

初心者のうちは弓の引き方や力の入れ方がよく判らないので、腰や肩、腕や手首などに無闇に力が入って体が硬くなっています。ガチガチに硬くなっていても、肝心なところに力が入っていないので、弓は楽に引けない。むしろその反面、真っ直ぐで十文字にあるべきところはぐにゃぐにゃと曲がってしまいます。
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7-25 弓射における三つの平面

弓射の基本が簡単そうでなかなか難しいのは、三つの平面が立体的に組み合わさっているためと思われます。
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7-26 五重十文字より始めよ

射技の基本が五重十文字にあることは誰もが知っていますが、これを正しく理解して実行するは難しいものです。私も悪癖からの脱却の道標として常に意識したいと考えています。今回はこれまでのものから五重十文字をキーワードとして編集してみます。
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7-27 遠的射法について

多くの初心者にとって遠的競技は一寸難しいなと感じていると思います。それは殆どの方(私も)が普段近的練習ばかりで、遠的なんて年に1、2回しか行わないので、慣れていないことがあげられますが、遠的の射法というか注意点、要領を理解することが大事と思います。
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7-28 「引き分け」という言葉の意味

射法八節の「引き分け」という言葉は、大三から会に至る弦道において「左右均等に引き分けよ」という意味であることは誰もが頭の中では知っています。
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7-29 会の形(その5へのコメントに応える)

7-5 会の形(その5)」について関谷様からコメントを頂きました。ありがとうございます。これまでコメントを頂くことが少ないので、自分では良いと思って書いたことが、実際には独りよがりの自己満足ではないかと淋しく感じていました。今後もどんどんコメントを頂きたく思います。

私はコメントの文章から関谷様は相当な射手であると推察しています。「両肩を巻き込んで、しっかりと詰め合い、鋭い離れがでます」、これこそが骨法であり、なかなかできなくて誰もが苦労しているのです。
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7-30 会の弓道教歌

「よく引いて 引くな抱えよ 保たずと 離れは弓に 知らせぬぞよき」

これは、竹林流弓術書「四巻の書」に竹林坊如成が詠んだ弓道教歌であり、なかなか難解な歌であるが、味わい深いものがあるので、我流の解釈をしてみたいと思います。
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