home >  弓道四方山話 > 巻の七 「十文字の巻」

7-11 五重十文字について

私はこれまで、五重十文字とは会における力の釣り合いについて、五行陰陽道から五にこだわったものと思っていました。体の縦横十文字と弓矢の十文字との二重十文字があれば、あとはその重複であると思っています。
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7-12 十文字の錯覚

縦筋と両肩の十文字が弓道の第一のポイントであることは論ずるまでも無いことですが、自分の十文字がどうであるかを見るとき、これにも錯覚があって意外に勘違いし易いと思います。四方山話にはいろいろ書いてきましたので、話が少々だぶるかも知れませんが、年寄りの繰言と思ってご容赦願います。
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7-13 詰め合いは縮めることではない

射法では、引き分けの後に詰め合い伸び合いが書かれていますが、詰め合いって何だろう、今一つ判らない気がします。
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7-14 伸び合いはえいやっと放すものではない

詰め合いの後、伸び合いによって離れに至るのですが、このときの伸び合いは、思い切り良くえいやっと放すものではありません。 大三はここ、引き分けはこう、会はここ、詰め合いはこことホールドして、ロボットのように、えいやと放すのでは、中るかも知れませんが、力の連続性がありません。
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7-15 押手の親指と勝手の親指の方向

この頃、口ばかりで、ますます中りが遠ざかっていますので、自分ながら四方山話を語るのが白々しく思いますが、頑張って年寄りの戯言を述べてみましょう。
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7-16 矢束についての訂正

以前(7-10)に、3つの矢束「引く矢束、引かぬ矢束、ただ矢束」の説明として、「引く矢束は眼一杯力んで引き手繰って引きすぎた矢束である」と書きましたが、これは間違いのようです。 伝書には「引く矢束というは至らぬ矢束なり」と明確に書いてありましたので、これは引き足りない矢束で引くべき矢束ですので、全く逆の説明をしてしまいました。訂正いたします。
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7-17 押しと引きの対称性

押しと引きは対称か、それによって肩は水平になるのか、肩甲骨は対称になるのか考えてみたいと思います。
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7-18 前肩さがり、後肩あがりを矯正する

自分の射は、前肩さがり、後肩上がりの癖があり、これを直そうと思っていますが、これが頑固でなかなか直らないのです。この四方山話にもそのことは何度も書いています。「彫像の粘土細工」の話も「押し引きの対称性」のことも、それを意識したものであり、小林先生の「竹林射法七道」では、このことがこれでもかとくどいほど書かれています。
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7-19 続・前肩さがり、後肩あがり

前肩下がり、後肩上がりの癖は、小林先生の言によれば江戸時代に朱子学の影響を受けて中国射法の極意書である「射学正宗」の妄信的な勉強が災いしたものではないかと書かれています。
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7-20 唯矢束、わがままな矢束

竹林流の奥義書の弓道教歌に「引く矢束 引かぬ矢束に ただ矢束 三つの矢束を よく口伝せよ」があり、他にも矢束には類似の教歌があります。これは骨法に合致した会に至るには、その人に丁度いい矢束があり、それを修練して見つけ言い伝えなさいと言う意味であります。
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