手袋考8「竹林ガケと三河ガケ」
前稿まで述べたように弓力30キロ未満なら手袋で充分ではないかと思うのですが、とはいえ現実には親指が痛まないよう保護されているのは楽です。無理に苦行を求めるという求道的な指向でなければ、痛い思いをしないで済むに越したことはありません。
さて「離れの冴えは素手に近いほど良いのは分かっているが親指に弦が食い込むのは何とかしたい」という我が儘な要求を叶えるユガケはないものでしょうか。
さて「離れの冴えは素手に近いほど良いのは分かっているが親指に弦が食い込むのは何とかしたい」という我が儘な要求を叶えるユガケはないものでしょうか。
もしかすると、それを模索したのが竹林ガケや三河ガケなのかもしれません。両者に共通するのは三ッガケで角入の節抜き帽子と柔らかい控え(一の腰)です。節抜きとは親指の背の部分の角が刳り抜かれていて、親指の先だけ角で覆われている帽子です。喩えは良くないですがスリッパみたいな形です。
角が刳り抜かれた部分は革を貼り込んで二の腰にするのですが、竹林ガケはいわゆる堅ガケのような控えにガッチリと帽子が接続された構造にはなっておらず付け帽子になっています。一般に弓具店で販売されているユガケでは「控え無し」が付け帽子で、三本指の手袋に木帽子や革堅め帽子を被せて縫い止めたような作りです。非常に単純な構造なので帽子のあるユガケの原型だと思います。諸ガケ(小笠原流歩射用の堅帽子手袋)も構造的な分類からすれば付け帽子です。
浦上栄・斎藤直芳著「弓道及び弓道史」のユガケの項は二人の著者の文章が継ぎ接ぎしてあるようだと手袋考2で指摘しましたが、その浦上先生が書いたと思われる部分には付け帽子について以下のようにありました。
・節抜とは拇指の附根の関節に当る部分が刳抜いてあるものを云ふ。これには四ッ掛、三ッ掛両方ある。
・角入の附帽子とは角は節抜で、拇指の二の腰だけが張込がしてあり、他は一枚皮で出来ている。
これによれば付け帽子=節抜きなので、現代の節抜きではない控え無しユガケや諸ガケはどういう分類にすれば良いのか悩みます。それはさておき、節抜きというのはそれほど特殊な仕様でもなかったということでしょうか。竹林ガケの節抜きを特に大節抜きと呼ぶこともあるようですが、軽く刳り抜いてある節抜きは珍しくなくて、大きくザックリ刳り抜いてある大節抜きは特殊ということでしょうか。
竹林ガケの特徴について魚住文衛著「射法とユガケの関係」には以下のように書かれています。
1)帽子の中に入れてある牛の角は極めて薄くて、拇指の表側になる部分は、頭の所(爪のある部分)は角があるが、拇指の付け根から先の関節までの部分は角が刳り抜いてあるので、押さえると凹むほどに柔らかくて、拇指を動かすことができる。
2)親指の腹の付け根のところが一枚革で柔らかくしてあるので(一般のユガケはここが堅い)1)の節抜きの効果と併せ、拇指の屈伸が容易である。
3)弓を引くときに、取りかけた指先に力を入れずに軽く結んだままで引くことができるように、帽子の頭の部分と二指三指の腹の部分に、枯れて滑らない革を裏向きに貼って滑らないようにしてある。
4)三ッガケであるが、拇指が普通の三ッガケよりも長いので、弓を引くときに三本の指にかかる弦の圧力が少なくて済むので、強い弓でも引き易い。なお、拇指が長いので、拇指を余り曲げずに懸結びができる。
5)弦枕の位置が深懸でなく、やや浅懸(朝嵐懸)になっているので、離れが鋭くなる。
6)一の腰も二の腰も余り堅くない半固めの程度であるので、1)2)の効果と併せ、拇指の屈伸を助ける。
7)帽子の先端が真丸ではなく、やや角形のやや扁平であるので、懸結びをしたとき、帽子の先と中指の腹との接触面が小さいので、離れのときは若干利点がある。
なお、竹林ガケは一文字懸で引くように出来ており、このユガケで平付けに引くと途中で弦が外れる。
また大伴英邦著「尾張藩弓術竹林教典」には以下のように書かれています(抜粋)。
・一般のユガケには捻り革があるが竹林ガケにはない。
・弦枕を包む包皮は根本ばかりを縫い固め弦枕の位置、高さ、など射手の好によって自由に変更できるよう簡単に糊づけしてあるばかりである。
・帽子の先と人差指、中指にあたる箇所に鹿の頭部の皮がはってあって、取り替に便利にしている。ギチ粉はこの部分につける、この皮をヤニガワと呼んでいる。
この鹿の頭部の皮というのは一説には首の皮とも言われています。
そして小沼豊月著「弓道講座 ユガケに就いて」には以下のように書かれています(抜粋)。
・此ユガケは非常に他のユガケと異なって居りまして、最も実用的経済的なユガケであります。
・帽子の型は一見鯔の頭の様に普通の丸帽子よりもづつとつぶれて居ります。従って親指の節のあたらぬ様、角は節抜に削り上げます。帽子の腰は屈み少く据付た時直立する位にします。
・掛け口は真一文字であります。普通一文字といふのは中筋かいに近いものですが、真一文字といふのは帽子に対して大体直角になるので竹林派以外には無い掛け口であります。
・帽子の頭の中指の掛かる所にはナメシ革を、裏を外側にして貼り付けます。中指の腹にもあて革をして、痛むところは総て簡単に取り替へられる様になって居ります。使用の際はクスネのような特別のギリ粉の様なものを用ひます。
最初の二つの資料では脂革(やにかわ)が人差し指と中指の両方にあると書かれていますが、小沼師の方は中指だけになっています。また竹林ガケの大きな特徴とも言える節抜き構造について魚住先生は親指屈伸の容易さを強調していますが、小沼師は帽子があまりにも扁平なため親指があたらないように節抜きにしてあると書いています。大伴氏に至っては節抜きについて全く触れていません。あと、帽子が長いことを特徴として上げているのは魚住先生だけです。
竹林ガケの名作者としては三勝と吉勝の二人が上げられ「尾張藩弓術竹林教典」にはそれぞれ作の竹林ガケの画像が掲載されています。これを見ると吉勝より三勝の方が帽子先が角張っていて、帽子の長さも長く見えます。その分だけ帽子先に取り付けられた脂革部分も大きいようです。魚住先生の「射法とユガケの関係」に添えられた竹林ガケの図は三勝の作に雰囲気が似ています。
もしかすると、相当な強弓を弩く必要があった頃は比較的帽子が長く、二指でしっかりそれを押さえる仕様だったものが、時代が下って弓が弱くなるに従って短い帽子が好まれるようになり、しかも中指一本で押さえが足りれば人差し指の脂革も消滅した、ということでしょうか。脂革にはクスネ状のギリ粉を付けたとすると、並大抵の弓力では指が解けないはずですから、二指とも脂革を付けてガッチリ指を組むと、ちょっとやそっとで離れは出なかっただろうと想像されます。
一方、三河ガケはもう少し一般的な堅ガケに近い仕立てになっていますが、控えが柔らかいところなどは竹林ガケとよく似ています。一見して違うのは帽子の形状で、竹林ガケのボラ頭に対して、三河ガケは台形型断面形状の帽子の先を斜めに削ぎ落としたようになっています。
高柳静雄著「三河弓術風土記下巻」には三河ガケについて以下のように書かれています。
弓を引くときのユガケは古くから流派によって、その形状に特色があり、同じ三ッガケでも、印西三ッガケ・雪荷三ッガケ・尾州・紀州竹林ガケなどがあって、射法技術の上にそれぞれの特徴があった。現在では余りその区別がなくなってきたが、この地方には三河ガケというのがあって、岡崎市松屋町の木村仲太郎という人が作ったといい、「久重」の銘があった。拇指の頭がそいであること、一節切りになっていること、腰控えのやわらかいこと、指の帽子に当る部分(指の腹)にギリ粉をつけるためのヤニ皮がはってあるのを特徴とした。
この中の「一節切り」という仕様がどういうものか分からないのですが、尺八の前身と言われる伝統楽器に「一節切(ひとよぎり)」という縦笛があるようです。Wikipediaによれば「尺八が竹の根本部分を用いるのに対し、一節切は幹の中間部を用いるため、尺八に比べて細径・薄肉である。」とのことなので、三河ガケの帽子は「細径・薄肉」だったということを指すのかもしれません。
また、三河は雪荷派が盛んな土地柄ですが、小沼師は「弓道講座 ユガケに就いて」の中で雪荷派三ッガケについて以下のように書いています。
堅帽子三ッガケで、大控になります。帽子は先を細くし節抜にします。総飾付で非常に優美なユガケです。現今では四ッガケも使用しております。
三河ガケは大控であるという説もあるようですが、それはこの雪荷派三ッガケと混同しているのかもしれません。
ちなみに通常の堅い控えを中控と呼び、柔らかい控えを小控と呼びます。大控は中控の控革がぐるりと手首を一周するまで(台革の端から端まで)貼り込んであるものです。おそらく機能よりも装飾のための仕様だろうと思います。控の種類については、通常の堅い控えを小控と呼び、柔らかい控えを半控と呼ぶユガケ師さんもいるようなので少々ややこしいです。
名匠駿河三慶が作ったという三河ガケがいろは弓具店に残されているそうですが、Blogの画像からは中控のように見えますし脂革もありません。しかし帽子は確かに先を削ぎ落とした形になっています。何をもって三河ガケとするのかは、控の仕様ではなく、帽子先の形状によるのでしょう。
峯 茂康 | 2016/10/06 木 22:04 | comments (0)
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