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手袋考2

画像は自作の騎射手袋です。

手袋4

これは半年ほど稽古で使って馴染ませたもので本番用です。普段使いしている騎射手袋も自作ですが、こちらは厚手でゴワゴワしたあまり革質のよくないものにしています。騎射は手元を見ずに素早く矢番えをする必要がありますが、敢えて精妙な触覚を妨げることが良い稽古になると教わったためです。

手袋3

さて、一般に通じやすいので小笠原流歩射用のユガケを諸ガケ、騎射用を騎射手袋とか騎射ガケと私も呼び分けていますが、本来はいずれも単に手袋と呼ぶか一具ユガケもしくは諸ガケと呼ぶものです。

現代弓道小事典にも諸ガケは騎射用と書かれています。

もろがけ【諸弽】
もろゆがけとも云う。弽の一種。騎射の時左右の両手にさす弽の事で、一具弽とも云う。五指共に覆う弽で小笠原流は主として此の弽を用いる。(現代弓道小事典)


このようにそもそも歩射も騎射も手袋に区別はなく、歩射の際には一具の右手だけを用いたものです。小笠原流高弟斎藤直芳氏は以下のように著述しています。

なお当流では騎射は両手を用いるが、歩射では怪我でもしない限り左弽は用いない。とくに式の場合は決して押手は用いないのである。(現代弓道講座)


ちなみに現代弓道でも晴れの場で押手ガケを用いるのが失礼だとされるのはこういうことなのでしょう。

この右ユガケが現在一般的に「諸ガケ」と呼ばれている形に変化していきます。カケ師の小沼豊月氏は歩射の諸ガケについて以下のように著述しています。

五本指の長い手袋様の弽で、控堅めはありません。昔は革堅めの帽子でありましたが、明治三十年頃より親指に木帽子を入れる様になりました。 初めはこの弽は禮射の時だけ用ひたものでありましたが、普段から慣れた方がよいといふので、それには革堅めより木角を入れた方が工合がよいといふことになり、今日の様な弽になりま した。(弓道講座)


歩射の諸ガケが今の形になったのは意外にもごく最近のことなのです。

また、諸ガケのモロは五指全部の意と勘違いされることが多いのですが、このモロは一具と同様に一対とか一揃いを指す語です。つまり両手一揃いということです。いわゆる「諸手を挙げて」と言うときのモロです。

しかし、弓道及弓道史(浦上栄・斎藤直芳著)のユガケの項には以下のような記述があります。

諸掛は小笠原流で使用し一具掛の改良せられたもので、拇指は上堅めで作り、二の腰だけは張込をして堅くするが、その他は一枚革である。指は五本あって、此處からこの名称が起こつた。


一般に三つガケ・四つガケという名称からの連想で「五本指だから諸ガケだ」という誤解が生じるのでしょうが、弓道及弓道史にも原因の一端はありそうです。

ただ、弓道及弓道史のユガケの項は文章を継ぎ接ぎしたようなフシがあります。どうも一貫性がないのです。この文章の少し前には以下のような記述もあります。

この外に諸弽と称し、小笠原流で用ひる弽がある。角入付帽子を五本指に作つたものである。


これらはユガケの文字の使い方や諸ガケの帽子が上堅め(革堅め=水で濡らした生革を型にはめて帽子を整形する方法)だったり角入だったりとまちまちなので、ひょっとすると二人の著者から得た原稿に編集者が手を加えてくっつけたのかもしれません。

さて、一具ユガケはそもそも具足の一部で、甲冑を着けて戦をする武士が両手に挿した手袋です。そのため具足ガケとも修羅ガケとも呼ばれたようです。この手袋で馬の手綱を執り、弓を引き、刀や槍を操りました。

カケ師の小沼豊月氏の著述(弓道講座)に堅帽子ユガケ以前の手袋は三種類紹介されています。

一、頼朝弽
此の弽は其の名の現らはして居る様に、源頼朝の時代に出来たものの様であります。左右一対で何づれも五本指で長い手袋の様に出来て居て手の腹の方は刳ってあります。右手の親指には腰革を付けます。

二、具足弽
よく具足櫃の中に入れてありますが、やはり革手袋の様なものに紐を付けたもので、手の腹は刳ってありません。戦場で弓も引け、刀でも手網でも何でも使へる様に出来て居たものであります。

三、騎射弽
其の名の様に騎射用のものでありまして、頼朝弽と同じ様に作りますが、手の腹から手首の方へかけて紐で編んで締める様になって居ります。左右一対のもので右手には腹革を付けます。


現存する頼朝ガケの真贋は定かではないと言われています。ひょっとすると、富士の裾野巻狩で弦で指を痛めた武士達の右手親指に頼朝が革をあてさせたという故事に因んで後世の人が作った手袋かも知れません。

頼朝ガケの手の腹は刳ってあるとのことですが、戦場で手を保護するための革手袋が掌を裸にするとは腑に落ちません。そのため私は後世の作ではないのかと訝しむものです。

騎射ガケは八代将軍徳川吉宗が流鏑馬を復興して以降に使われるようになった手袋の仕様だろうと私は考えています。掌が革で覆われていないということは実戦で使うことを想定していないのでしょうし、筒(手首から肘の部分、前腕)が紐で編んであるという仕様からも吉宗流とも呼ばれる軽装の平騎射 (騎射挟物)用だと思われるのです。

注)小沼氏は「手の腹」という語を、掌と前腕内側の両方の意味で使っているようです。

現在の騎射の手袋でも歩射の諸ガケでも筒が長いのが特徴です。実際に使ってみると分かりますが、筒の合わせ目部分がヒラヒラとめくれてきて邪魔なことがあります。これが思わぬところに絡んだり引っ掛かったりすると戦場では命取りです。

しかし鎧直垂を着用する際は、手袋の筒は装束の袖の中にしまわれ、手袋の上から袖口を紐で絞るため邪魔にはなりません。従って、筒袖の着物で騎射を行うようになった吉宗期以降に手袋の筒を紐で編む必要が生じたと考えられます。

ただ、戦場における保護手袋としての役目を終えたからといって、どうしてわざわざ騎射ガケは掌を刳ってあるのかという理由は思いつきません。掌を刳ってあるとはいえ手が弓と接触する部分は革で覆われているため、少なくとも弓術には無関係だろうとは考えられます。

掌の肌が露出したこの部分を「手綱溜まり」と呼ぶこともあるようなので、ひょっとすると素手で手綱を執る方が馬術に有利な理由があるのかもしれません。そうであるならやはり頼朝ガケは本物なのか…。

それとも難しい理由などなくて “ただ涼しいから” でしょうか。夏場の騎射稽古は手袋を絞れば滴るほど汗でびっしょり濡れますから。

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