home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-8 夢中と覚醒と無念夢想

心技体については弓道教本1巻の序論や4巻(村上先生)に書かれています。私も凡人ながら弓の楽しみとしての気持ちについてまねごとを書いてみたいと思います。
弓を単純に当てっこだと思った場合でも、夢中にならないと上達しませんし、面白くなりません。ロボットのようにやっていたのでは面白くありません。先ず夢中になることが第1条件です。次に夢中になりますと、知らないうちに突然当たるようになりますが、中りが付くと自分がどうなっているのか、判らなくなり、癖がつきます。早気にもなり、引き方、離れなどが判らなくなります。こんな時は自分を後ろから他人の目で見るような覚めた気持ちが必要になります。夢中になっていたのでは五重十文字がどうのとか、五部の詰めがどうのとか判りません。これが第2です。

しかし覚めた目ではもう一つ乗ってくる所が足りません、中りがまた逃げていってしまいます。弓の醍醐味は引き分けから会に至り、離れの瞬間までじりじりと詰め合いをして、如何にスパッと切れ味鋭く出せるかにあると思います。覚めた目で、ああしよう、こうしようと考えている間は達成できないのです。

ここで大日如来様の心境のように無念無想に入れるようになれば、あるいは松林を吹き抜ける風のようにさわやかな気持ちになれれば、欲張ることなく自然な動作ができて、練達の域に近づけるのかも知れません。これが第3段階です。

試合などで頭が真っ白になって考えられないときに、「夢中でやる中に、少しだけ覚めた気持ちで、悠然とできるか」、こんな風になりたいなあと思います。

云いたいことは、情熱を持って夢中になってやることと、覚めた目でいろいろ確認しながらやることと、全てを超越して悠然と行うこと、これらの3要素をあわせて行うことが、弓道の修行のポイントであると思います。

情熱と知性と悟りとも云えますが、これには段階と成長があるので、一足飛びに知性でコントロールしようとしてもできないし、いきなり悟ろうとしても役に立ちません。

覚めた目でチェックをする時、射技の注意点を全て網羅しようとすれば、おそらく100カ条にもおよび、とても引き分けの途中でチェックできるものでは在りません。すなわち大部分のチェック項目は情熱的な練習によって自然に行われており、わずかな数点に絞って基本的な事項をチェックするのでなければ、できません。

私が日頃チェックしているのは、大三での両肩、会では肩甲骨の合わせ、重心の動き、妻手のはじきなどです。そして、これらが、意識せずともできるようになれれば、無念無想となるのですがなかなか・・・と云うわけですね。

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