home >  特集記事 > 東海学園弓道部史

【昭和33年〜】弓道場拡張工事を経て戦後の黄金時代へ

こうして戦績が向上するに伴い、部員の増加により道場が手狭となり、学校の理解ある援助で昭和33年に五人立ちが出来るよう間口一間(約1.8メートル)を拡張する工事が行われた。
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【昭和45年〜】第二弓道場の建設と夜間照明設備の設置

このように快進撃を続ける東海であったが、道場は2度の拡張工事を経ても中学又は高校の試合前は、片方が的前練習を止めねばならない状況であった。
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【昭和46年〜】弓道衣・袴の着用や春合宿の開始

昭和46年になると、高校では石黒俊太郎君(高25回卒)が県代表選手として8月2日〜5日高知県丸の内高校体育館で開催された第15回インターハイに出場した。
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【昭和49年〜】第1回全国中学生通信弓道大会で全国優勝

当時の中学県大会は五人立・一手5回による50射を競うもので、東海が8連覇出来たのは選手層の厚さに加え、それを支えた多くの部員諸君のチームワークによるものであった。
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【昭和56年〜】十人立大弓道場の建設

この頃から中学高校合わせて部員数100名を超すようになり、練習に支障が多くなったため、学校当局の配慮と山田弾六会長を中心とする東海弓道倶楽部の熱烈なる援助で、昭和56年間口十間(約18メートル)・奥行七間(約12.6メートル)の十人立大弓道場が新築された。
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【昭和58年〜】第1回全国高等学校弓道選手権大会地区代表の座を獲得

特に昭和57年優勝した東海は、翌58年から始められた春の全国大会への出場権を目指し、2月に名古屋市営弓道場で開催された第1回東海地区大会でも金田陽介・飯田耕三・鈴木達康(高36回卒)・岩間正晃(高37回卒)君らが見事優勝した。
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正射正中を目指して

弓道は心技体の一致が必要であり、その極致を一射一射に実現しようと修練を重ねている。そのような弓道精神を通して人間形成を目指している東海弓道部の厳しい中にも楽しさのある雰囲気は、ここに記載できなかった歴代の部員諾君の努力を通して伝統となって培われたものである。
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