home >  特集記事 > 星野勘左衛門 経歴の謎に迫る

1 劇画「弓道士魂」

平田弘史著の「弓道士魂」
▲平田弘史著「弓道士魂」大都社刊

平田弘史著の「弓道士魂」という劇画を以前に読みました。ちょっと記憶が正確ではありませんが、三十三間堂の通し矢の星野勘左衛門茂則や紀州竹林流の武士を中心にした劇画であり、三十三間堂の通し矢にまつわる時代の背景や当時の武士の実態、三十三間堂の構造、通し矢のしきたりなどについて時代考証を忠実に描写し、非常に面白く読み応えのある本でした。
ストーリーは、紀州藩の貧乏な下級藩士の星野勘左衛門が日置流竹林派弓道師範尾林与次右衛門に見いだされ、先輩の吉見台右衛門(後の順正)と共に艱難辛苦の堂射(三十三間堂の通し矢)修行を積み重ねることで一流の射手に成長してゆく過程を描いています。

(筆者注:「南紀徳川史」には瓦林が尾林となっており、劇画「弓道士魂」も同様に尾林となっているが、 これは瓦林の間違いであるといえる。私の推定であるが、毛筆の書体から瓦を尾と間違えたものと思われる。)

吉見は紀州を代表して何度も通し矢に挑みますが再三の不運に付きまとわれなかなか実力を発揮できず、ついに星野が替わって藩の代表射手として選出されます。しかし、直前になって星野の出生地が尾張であったことが判明し通し矢出場は取りやめとなります。

やむにやまれず紀州を脱藩した星野は、日置流竹林派同門の尾張藩長屋六左衛門を頼り弟子入りして通し矢に挑みますが、紀州藩の送り込んだ刺客の妨害に遭うなどして記録更新はなりません。星野が苦しんでいたまさにそのとき、ついに吉見は尾張藩の長屋六左衛門の記録6,323本を射越し、6,343本を通して天下惣一を達成しました。(編者=峯注:明暦二年・1656年)

その後、星野勘左衛門が尾張藩の代表として前人未到の8,000本を射通しました。(編者注:寛文八年・1669年)三十三間堂にはこのときの記録を記した掲額が残っていますが、天下惣一を成し遂げた星野は喜ぶことなく、その場に涙を一滴落として静かに去っていきました。星野は、民百姓を犠牲にしてまで藩が通し矢の名誉にこだわることはこれっきりにしなければならないと考えていたのです。

しかし紀州からは吉見台右衛門の若き弟子である和佐大八が挑戦し、8,133本を射通して大記録を打ち立てました。これが史上最高新記録となり以降打ち破られることはありませんでした。(編者注:貞享三年・1686年)

このとき大八は順調に射通し始めましたが、わずか4,000本で限界がきてしまいました。そのときに編み笠で顔を隠した武士が近寄り、大八の手の平を切り開き鬱血を抜いて助け、よみがえった大八が星野の記録を破り天下一となったのです。

名を名乗らず立ち去った編み笠の武士は星野勘左衛門その人でした。星野は紀州の記録更新を阻止するべく射手の暗殺を目的に送り込まれていましたが、紀州で修行中に和佐家に寄宿し幼い大八を弟同然に可愛がってきた星野にそれはできませんでした。

その結果尾張藩から追われる身となった星野ですが、大八の記録は星野の助けがあってのことだったという噂が広がり、ついには尾張藩弓術師範となって星野は多くの門人を抱えました。

(編者注:劇画の最後には「各人の年令その他に 若干事実とずらしてあることを付記しておく」〈ママ〉とあります。劇中では通し矢初期の記録以外に明確な年代は記されていません。注記の年代と比べれば登場人物の年齢が離れすぎていることに気づくでしょう。)

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