home >  特集記事 > 星野勘左衛門 経歴の謎に迫る

5 尾州竹林と紀州竹林の交流

堂の軒下に刺さったままの矢
▲堂の軒下に刺さったままの矢

「竹林正統系譜」にある、佐竹源太夫については「紀州の家士であり、尾張にきて貞次の指南を受け、ついに印可を得て故国に帰り門弟を取る、紀州における竹林流の始祖である」と書かれています。

また、佐竹よりも以前に、竹林坊如成の弟子(あるいは貞次の弟子)に瓦林與次右衛門という人物があり、貞次から唯一人伝授の印可を得て紀州藩に仕えたので、この人が紀州竹林流の祖と云われています。

さらに、あの吉見台右衛門もまた貞次に習い印可を受けたといわれるので、創世記の紀州竹林流の達人はいずれも尾張に留学して、竹林坊如成、あるいは貞次に直伝を受け、印可を授かっているのです。

両藩は後にはライバル藩として、譲らなかった面もありますが、徳川幕府体制発足のころはもともと徳川家康の家臣団を分けて作られた兄弟藩ですので、紀州の弓術を発展させるために、兄貴藩に頼って瓦林を召抱え、弓の優れたものを留学させたものと思われます。

すなわち、竹林流は貞次のあと正統竹林派(石堂竹林家を岡部家が補佐)と尾州竹林派(長屋六左衛門)、紀州竹林派(瓦林與次右衛門)に分かれて伝授されますが、正統竹林と尾州竹林はともに尾張藩にあるので、直伝を勉強するために尾張に留学することは不自然ではないと思われます。

しかし、杉山の件は藩命による留学ではなく、自藩を脱藩した不届き者であったので紀州侯は酷く立腹して、意地になって対抗したと考えられます。そして、以降の脱藩は許さなかったでしょうし、人物交流も途絶えたと考えられます。

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