home >  弓道四方山話 > 巻の四 「父の巻」

4-11 吾加(五箇)の手の内、三毒、瞋恚について

弓道四方山話の「父の巻」に、吾加(5箇)の手の内の一つに三毒があることを以前に書きました。今日はそれに関連して、奈良の松岡先生(Webサイト「弓道への誘い」を開設している)にご教示いただきましたことに触れてみたいと思います。

まず、吾加の手の内と言うのは、重複になりますが、竹林流の手の内の極意に五つの手の内があり、5種類あるということと、我が働かせるという意味から、五箇、吾加といいます。また五つという数字は仏教の五行陰陽道、5輪砕き、からきており、他に5に拘った言葉が多くあります。すなわち、五つの懸け、五つの胴、五重十文字、五つ十二字の五位があり、これを五五二十五の教えといい、その中の一つです。

吾加の手の内は、「鵜の首、らん(卵)中、骨法陸、三毒、ああたったり(呼起り)」の5つであり、これらの説明は前述したので、ここではくどくは説明しません。

竹林流の伝書には5つの手の内が極意であり、よく勉強しなさいとありますが、どれが最もいいかとは書いていません。これらは時の手の内と言ってそれぞれの味を生かして用いるべきものとあります。

「五つの手の内を何れにてもその人に相応したるを用いる義なり。例えば卵中の手の内が相応したる射形の人には卵中を用い、鵜の首の相応したる人には鵜の首を用い、三毒の相応したる人には三毒を用いて射さすること第1の義なり。これを時の手の内という。」とあります。

さてこの中で、「三毒強し」の言葉があるように、三毒という手の内は親指と小指と薬指の3本の指を瞋恚に、貧欲に、愚痴愚痴と、ひたすら強く押しかけるものであるようです。

親指は瞋恚(しんい、または、しんにと読みます)という憤怒の気持ちで、小指は飽くまでも貧欲に貪るように握り締め、薬指はいつまでも愚痴るように愚痴愚痴と攻め立てる手の内であるとかかれています。この点では、手の内を柔らかく握る卵中とは違って、強く押しかける手の内と思われます。

私はこの「瞋恚(しんい)」について「弓道四方山話」で意味不明ながらと断って書きました。松岡先生(多分小笠原流と思いますが)から、この「瞋恚」と言うのは真言密教の不動明王の憤怒の様を云うもので、激しく怒ったようにという仏教語であり、竹林流の流祖・竹林坊が真言宗の僧侶であったことから来ているのでしょうと教えてくれました。

松岡先生は真言密教に造形が深く、大峰山の奥駆け修行(修験道)にはたびたび参加されておられるそうです。千日回峰の阿邪利のように大変な修行と聞きます。

竹林流を習ったといいながら、竹林坊如成ゆかりの寺院が何処にあるかも知りませんでしたが、先日インターネットで調べていたら、桜で有名な吉野山の上千本に竹林院と言うお寺があり、見事な庭園を有する、弓道の聖地として紹介されていました。私は吉野には行ったことがないので、近いうち桜の季節には是非訪れてみたいと思います。

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