home >  弓道四方山話 > 巻の六 「掛け橋の巻」

6-19 引き分けの弓道教歌

 射法に従い、程よく骨相筋道に嵌めて、引き収めたいと思っていますが、大三から引き分けに移りゆくとき、何となく手がかりが無くなって、頼りない気分になることがあります。そんなとき、どうしたら正直に(正しく真っ直ぐに)引き納められるのだろうかと思います。

 古書から、引き分けに関する弓道教歌を見つけたので、我流の解釈をしてみたいと思います。

一、剛は父、懸けは母なり、矢は子なり、片思いして、矢は育つまじ

 弓手は強くどっしりした父であり、馬手は優しく包む母であり、矢は我が子である。父母が喧嘩して仲たがいしているようでは、子供は素直に育つはずがない。

 弓も同じであり、弓手は大目に、馬手は三分の一にとは云いながら、別々に片寄っては、真の大三ではなく、矢は真っ直ぐに飛ばない。

 弓手は揺るぎなく馬手の働きをリードし、馬手は延びて緩まぬ肘力でありながら、弓手の働きを思いやることが肝心である。父母が優しく相抱くことが会の和合であり、これによってすなわち離れとなり、矢は素直に飛び出るものである。

二、打ち渡す、烏兎(うと)の懸橋、直ぐなれど、引き渡すには、反り橋ぞよき

 「烏兎の架け橋」については既に(6-2)書いたので、その趣旨は変わらないが、この歌には二つの対となるキイワードがあることを述べたい。

 まずは「打ち渡す」と「引き渡す」という言葉である。「打ち渡す」は斜面に弓懐を構えた後、打ち起して大三に至るところを言うもので、正面打ち起しならば、「受け渡し」に相応していると思われる。「引き渡す」は「引き分け」を意味すると思われる。

 次に、「架け橋」と「反り橋」という言葉がある。私は橋梁を専門とした技術者であったことから、「架け橋」は真っ直ぐな板を渡した橋のことであり、「反り橋」はアーチ型の橋であると解釈できる。打ち起し、受け渡しでは弓手と馬手を水平に真っ直ぐになるようにし、引き分けでは弦道をアーチ状に円やかにするのが良いと教えている。

三、口伝(くでん)せよ、押していたずら、引く無益、父母の心を、思いやるべし

 伝書には記されていないが、弓手を無闇に突っ張って、馬手を負けまいと引っ張る引き方は無益(間違い)であり、父母(弓手、馬手)が互いに釣合いの心を思いやって和合することが肝心であると、言い伝えなさい。

四、押し引くと、継ぎ目な見せぞ、富士の山、峰と胸とは、一つなりけり

 引き分けの押す力と引く力は偏ったり、滞ったりして、継ぎ目を見せないようにしなさい。ちょうど富士山の峯のように、両胸をなだらかに納めることが和合である。


 このようなことを判っていても、実際にはなかなか出来ないのが弓道の難しさですが、せめてこんなイメージだけでも抱いて練習したいと思っています。

コメント

 まさしく、僕自身もそうやって右肩をひっかけて右肘が垂れてしまって、左肩は猿臂の事すら知らないので、左肘をつっぱって(尾州竹林流ではダメとされる、‘突く’というやつです)、左肩も巻き込んで固めて、捻じ込むことを角身と勘違いして引いてきて、そうやって弓とけんかして引いて来たので、竹弓の外竹に何度も笄を走らせて弓の外竹を交換して・・・
 みんな悩むことはきっと似たようなところなのだと思います(笑) そうしていろいろ試してきた者同志が、遠回りしたなあ、と振り返って思うのですよね、全く一緒です(笑)
 でも、そんな努力って無駄ではなくて、いろいろやってきたからこそ、後輩たちの修正点が見て取れるのだと思います。反面、悩まず我流を変えずに引き続けて、指摘されても直す気もなければ、他人の射を指導することは、できないのだと思います。
 櫻井様と同じ県で住んでいたとしたら、弓具を持ってイソイソと「ちょっと練習に行ってきま〜す。」と出かけて、しょっちゅう道場で意気投合してアーダコーダと相談しながら練習して、嫁さんに「あんた、また櫻井さんと弓引きよったかね。」と呆れられていたことでしょうね(笑)
佐野 | 2013/06/12 22:58
佐野さん
 貴方とは会ったことがないのに、自分の射形の矯正ポイントをぐさりと指摘されたようで、怖いです。
私も中学から弓道を始め、高校生頃までは真っ直ぐな射形で良い成績を収めていました。大学に入ってから弓道理論が身に付くと同時に、癖弓の名手に感化されて、猿臂の射とともに左肩を控える引き方に変化し、左肩下がりで右肩で担ぐ射形になりましたが、そのことに40年も気がつかず(20年のブランクあり)経緯しました。

 このHPのプロフィールにある写真は、今から10年ほど前の写真ですが、まだその癖が明瞭に出ています。
この頃は24キロの弓を使って、力強い射を目指していましたが、
まず、弓構えの段階で既に左肩が抜け、大三は引きすぎて大きく、矢はやや後方につき、会では左肩下がり右肩上がりの担ぎ弓となっていました。物見は突っ込み、矢束は引きすぎ(3cm程)て、右肘が落ち、押手は強く握りすぎでした。右の肩根は上がったまま、詰まっていながら、右ひじのみ引き下げた形でした。
 この結果、離れは左は振り込みながら、右は前離れとなり、どんなに強く押しても効かず、前矢が出るようになっていました。

 これに気がついて、射形を真っ直ぐに改善しようとしてから3年になりますが、やっと肩の骨が揃ってくるようになり、矢どころも真っ直ぐにでるようになってきましたが、まだバラツキが多いのが悩みです。
このことは、「竹林射法七道」の小林治道先生、「弓道読本」の唐沢光太郎先生が力説していることがやっと最近判ってきたのです。
思えば、随分遠回りしてきたと思っているところです。
櫻井孝 | 2013/06/12 21:13
櫻井孝さま
 おおっ、唐沢光太郎先生の「弓道読本」ですね!かなり読み込みました。「鉤の勝手」をずいぶんと“誤って解釈したまま”10年ほど引いてきて、今にして、唐沢先生のおっしゃりたかったことがわかってきた気がしています。
 そして、唐沢先生が、「両肩を左右に押し開いて、特に勝手の肩を早めに開いて沈めて・・・」というような表現をしていますよね。これは、僕も今、嬉々として行っているところです。
 もともと肩根をひっかけたように上に残すと、これは僧帽筋上部線維が働いて肩甲骨が吊り上り、担いだ形になって、詰まった形になる。この形は鎖骨が斜め上に上がるので、矢束も短くなり、伸びが出ない。唐沢先生の書かれているように、(僕は正面なので、)勝手の肩を大三から引分けの開始時に早めに沈めた方が(感じとしては、左右に肩を押し開きながら沈める心持で)いいようです。そうすることで、肩の筋肉の使い方としては、僧帽筋中部線維と下部線維、大小菱形筋を使いやすくなって、肩甲骨下角が閉まり、背中で引きやすくなる・・・と解釈しています。この肩の使い方に変えて、軒並み今まで使ってきた矢が短くなってしまい、引き込みそうになって、件の矢・6本組の新調に至ったのです。箆継ぎ6本組もしましたが、今一つ、継いだものは使わず矢筒の中で眠っています。
 この辺りの肩の使い方、レントゲンにとって確認したいのですが、弓を引けるようなぜいたくなラボは当院にはないので、わかりません。
 『周波数』が合って、うれしいです。
佐野 | 2013/06/12 01:09
佐野さん、コメントをいつも有難うございます。
自分と周波数があうご意見だなあと、嬉しく思います。
しかし、実際には書いている本人はなかなか心で思うようには体が動かず、昨日はまあまあであったが、今日はばらばらであったと云う状況が続いています。
最近、心がけているのは、「押していたずら引く無益」とあるように、両肩根を平らにして、左右均等に引き分けたい。唐沢光太郎先生の背面写真のようにと思っていますが、程遠い状況です。
櫻井孝 | 2013/06/11 21:46
 櫻井様、楽しく拝見させていただいております。
 このあたりの教歌、ここ最近、尾州竹林流の書物を読む中で何度も読んできました。
 この中でも、とくに“継ぎ目な見せぞ・・・”の歌が大好きです。僕は正面打ち起しですので、中学・高校と、射法八節をすべて節をキチキチつけて行ってきました。
 衝撃を受けたのは、僕が錬士の審査を受けに行っていたとき、僕の“弓道の兄貴”と慕う人が六段を受審されていて、会場でその方の射を見て、“継ぎ目がない”なめらかな射に、度肝を抜かれました。そして、ドーン、ドーンと二本詰めて、六段を拝受されました。その映像は、今でも瞼に焼き付いています。
 それから僕も、その衝撃の冷めやらぬうちに、と、練習してきました。一見動作が止まりそうに見えても、内在する働きは止まることなく働き続けて次の動作に向かい、“緩-急-緩”をイメージして引いています。(うまくいっているかどうかは別にして。)
佐野 | 2013/06/10 00:31

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