home >  弓道四方山話 > 巻の六 「掛け橋の巻」

6-18 打ち起し以降における円相の継続

弓構えにおける円相の構えについては誰もが知っていますが、「打ち起し以降における円相はどうなっていますか」というのが今回のお話です。

竹林流では四巻の書の冒頭に射法の根本は「大円の覚り」であると書かれています。竹林坊は自らを大日師と号し大日如来(大仏)を世界の中心として信仰し、射法は薩摩の紋所のように十文字を中心にして、常に丸く隅々まで釣り合うことを理念としています。

このことは弓道四方山話の冒頭にも書いたので重複しますが、射法の全てに円相の考えを浸透させ、常に穏やかに均等に釣り合っていることが肝腎であると考えています。

竹林では「猿臂の射」という肘使いを大事としており、また力の強いところを削って弱いところに廻し均等にするのを汰流し(ゆりながし)といってこれも大事としています。

「水は方円の器に従う」ように、隅々まで力が均等に行き渡るようにということであり、すなわち、弓構えで作った「円相」は打ち起しや大三においても崩すべきではなく、維持して会の抱えまで、すなわち「幼子を丸く優しく抱くように」働かせるのが肝心であると考えています。

しかし、多くの初心者は「弓構えにおいて円相に構える」と理解し、打ち起し以降では全く「円相」の概念を忘却してしまい、「押手と左肩を突っかい棒のように押して、右肩と馬手腕(かいな)で引っ張る」のが正しいと考え違いをしているように思われます。

正面打ち起しの場合に、打ち起しを高くしようと思うほど、両肘は伸び切って二本の棒のようになってしまいますが、ここから大三に至る「受け渡し」で再び右腕を折って、右肘を張ろうとします。

これは、弓構えでせっかく作った円相の肘使いを、一旦放棄しながら、大三で再び行おうとしていることになりますので、複雑で無駄な動きをしていることと言えます。また、このような動きをすると、懸けの向き(親指の向き)も無駄に変化し、「懸口十文字」が崩れてしまいます。

弓構えで作る円相の目的は、「手の内十文字」と「懸口十文字」を確認することであり、これを崩さず打ち起し、大三に至り、さらに引き分けて会に至ることは、五重十文字の維持にあると言えます。

このために、打ち起しの動作は手先が先行するのではなく、両肩の関節の回転で両腕全体を持ち上げ、決して両肘を伸ばしきるものではないと考えています。

受け渡しにおいて、押手は手の内と弓との回転はあるもののそのままの形で伸ばしてゆくべきです。また、馬手も右肘の回転はあるものの、馬手の手の内もそのままの形で矢と弦の関係も変化させないで大三をとれば「円相」の働きを継続させることができます。

さらに、引き分けも「弦道」というレールの上を通って、アーチ状に張り渡して、そのままの形で会に抱えることが円相の継続であり、「総体の十文字」と呼ばれるものです。

このように円相の働きを保ったまま、客観的に実行することで、無理、無駄のない最も単純な射法が達成できるのです。

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