9-5 雨露利の離れと剛々正直について
竹林流の古書に、理想の離れとして雨露利の離れについて書かれたものがありました。「雨露利とは雨露の落つる如くやわらかになる味なり、その心少しも邪気がなく、自然の心にて射形もその心を勘へよとの事。云語筆舌に語りがたく、宜しく悟るべきなり」とあります。
雨露利の利の字は語呂合わせであると云えますが、雨露の心を利にせよとの義といえます。雨露利の離れは、露が次第に膨らんで自然にぽとりと落ちるように、癖がなく自然で無念夢想の離れとして理解し易いですが、これは容易に出来るものではありません。たまたま一、二本は「我知らずこの境地に入ること在れど、求めて得ることなかなか及ばざるなり」と書かれており、その後で剛々正直の離れが判り易いと云っています。「剛々正直は離れが正直に左右とも揃うときは剛なる程良しとの意味なり」とあります。
すなわち雨露利の離れはイメージとしては判り易いですが、なかなか容易に実行できるものではなく、かえって緩みにつながり易い危険性があるので、むしろ会を強く引き分け、素直に離れを出す方が安定するよと教えています。この文を伝えた人は正に正直で飾らない本当の達人だったと思います。
櫻井 孝 | 2001/09/03 月 00:00 | comments (0)
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