3-4 ロボット弓の是否
ロボット弓、あるいは機械体操弓(私の勝手な呼び方)の是非について述べます。ロボット弓でいいじゃないか、と考えて気ままにぽこぽこ中てている人が世の中には居ます。このやり方の功罪について個人的な意見を述べます。
弓は理屈でなく体で覚えるべきだと云う考えがあり、正確な動作が反復して実行可能であれば理屈はなくとも、手軽に中りは得られます。振り返ってみれば、射法を八節に分けて習うこと自体が、取り掛けはこう、打起しはこう、大三はここ、会はここと云う風にまず機械的に習得することで、単純化を図る利点があります。
力の働きなど判らなくても、同じ引き方で繰り返し反復すれば、感覚がだんだん繊細となり、微妙な感覚まで研ぎ澄ますことが出来るようになります。このようになれば、矢が曲がろうとそれなりの狙いをつければ当てることはできます。このような考えは非常にイージーであり、普段の練習ではひょいと引いてポコッと中てることもできます。
しかし、このような射法はすぐに破綻し、晴れの試合では出せないこと必定です。そのような人を多く見てきましたが、試合では殆ど駄目です。ロボット弓でも、たまたま正しい射法と同じであれば良いですが、この考えはイージーであるがゆえに楽をしますので、十文字が崩れ、片釣り合いとなり、関節が縮まり、緩み離れと成りやすいです。
従って、考えの無い単純なロボット弓は悪い癖がつく危険が高く、上達は望めないと云えるでしょう。逆に、正しい射法を得ようと努力していますが、あれこれ迷っていろいろ試して右往左往している場合には、射が固まらず中りがなかなかきません。このような場合には射法の基本的な考えを持ちながら、ややロボット的な手法を取り入れることで、感覚を研ぎ澄ますのが良いと思います。
櫻井 孝 | 2001/09/03 月 00:00 | comments (0)
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