2-16 弓道における相反性
弓道の修行の簡単そうで、なかなか難しい点として、相反性があげられます。これは、射法訓の前文でも触れているように、弓道の修行は動揺して止まない心と体で行う所作であり、いろいろな要素が微妙に絡み合って変化するので、簡単そうにみえてもなかなか一筋縄では獲得できないように思います。
故白石先生は詳説「弓道」の72頁「会 2 力と仕事」において、言葉や指導の表現での誤解や錯覚も指摘されています。それは「力を働かせる」ことと「動作をする」ことは意味が違うので、誤解しないようにと力学的に説明し注意しています。物理学では力というのは 力=質量×加速度 であり、動作をする(仕事)というのは 仕事=力×距離 となります。したがって動作を伴わないで力だけを作用させること(静止の状態)があり、この違いをよく理解しないと間違った方向へいってしまいます。
以下は私の考えですが、たとえば、指導書や伝書などに「〜のように」、「〜のごとく」、「〜の味」、「〜の働き」と表現している一部分をそのまま鵜呑みにして練習すると、かえって間違った方向に行ってしまうことがあるので、注意する必要があるのです。
これらのイメージとか味わいというものは、言い換えればメインの料理ではなく、調味料のようなものと考えています。調味料には甘い、塩辛い、酸っぱい、ピリッと辛いものなどがあり、これが効くからといって一つを無闇に多用するのはだめであり、バランスを考えて適度に用いるのがよいのです。
具体的には以下のような点があげられます。
■ 押手の捻りや角見を働かそうとして、大三や引き分けで手の内を捻り入れると、入りすぎた押手になり、かえって効かなくなってしまいます。また大三でしっかり捻っているのに、引き分けで手の内が滑って効かなくなってしまいます。これは手の内を捻る方向に働かせるのであって、実際に捻り入れてはいけないのです。
■手の内を強くしようとして三本の指を強く握り込んでしまうと、とくに手の小さい人は手の平が密着して、べた押し、下押しとなってしまいます。離れの瞬間に密着した押してはしがんだ押してであり、弓の下側がはねて暴れて弓が返りません。握り込みが強すぎると、離れで弓の回転にブレーキがかかり、角見が効かなくなります。
■これとは逆に、弓は卵を握るように柔らかくしなさいといいますが、離れで緩めてはいけません、卵(弓)を取り落とさないようにがっちりと握る必要があります。武士が戦闘中に弓を落としたら命がありません。
■押手の離れを強くしようとしてスナップを効かせると乱れることがあります。これも働きの方向であって、むやみに手首でこねたり、弓手を振り込んだりすると、かえって効かなくなり乱れます。
■ 弓手の肩を働かせようとして大三で左肩を入れるとき、左ばかりを考えると、押手、左腕、両肩までが一直線になってしまうことがあります。この場合、両肩の線と矢筋は押手を頂点とする三角形になってしまいますので、平行ではなく、右に捻れ、三重十文字が狂うことになります。したがって右肩が逃げて右肩が収まらなくなります。
■これとは反対に馬手肘を関節にはめこもうとして、右ばかりを考えると今度は逆に右肩で背負うような形となり、片釣り合いであり、これも三重十文字の狂いとなります。この場合には左肩が凹みすぎて、小さい射となります。
■押手の肘の絞り(右回転)、馬手の懸けの捻り(左回転)を強くしようとしてやりすぎると矢が撓って、矢色がでて乱れることがあります。これも無闇に強く働かせるのではなく、半捻半弱の味わいで、程よく働かせるのがよいのです。
■矢こぼれをしないように懸けをしっかり深くかけると、かえって馬手の指が触って、矢こぼれ、篦撓い(のじない)が起きやすくなります。
■離れを軽く出そうとして力を抜くと、もたれになったり、緩みが出たりして、乱れてしまいます。
以上のように、ただ一方の働きだけを考えて進めてはいけないということです。弓道は天秤のようなもので、常に左右のバランスを考えて中央でなければならないのです。
ただし、その時点でどちらかに狂ったバランスの状態にあれば、その反対の働きがないと中央にはなりません。癖を矯正するときは自分がどの位置にいて、何処が中央か見つけなければいけませんが、それは自分が信頼できる先生に診てもらえば客観的に診断して頂けるでしょう。これを診療の冷熱ともうします。
櫻井 孝 | 2006/05/28 日 00:00 | comments (0)
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