home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-28 礼記射義訓纂について

1.礼記射義についての疑問


弓道教本はもはや日本弓道の「聖書」であり、「礼記射義」「射法訓」は基本理念となっていますが、若い弓道人が背景や内容を理解せずに唱和しているように思います。

弓道教本第一巻52頁に故宇野要三郎先生が「礼記の遺訓」として冒頭の「礼記射義」の文章を解説されています。また、38頁〜41頁には「弓道の倫理性(道と礼)」として礼記の思想の背景について記述されています。

しかし、これは「礼記・射義編」という非常に長い漢文の中から二か所の文章を抜き出して編集された物であり、それには触れないで解説されたので、「文の繋がりが不自然である」こと、および「己に勝つものを怨みず」などは現代弓道ではあまり意味を持たないように感じ、疑問に思っていました。

2.礼記射義の研究(礼記訓纂、解説)


礼記射義の研究には以下の二つが私の手元にあります。

1)徳田雅彦先生による「礼記訓纂」


先生が纏められた膨大な弓道関連資料を頂き、その中に「礼記訓纂(くんさん)」という文書がありました。「礼記訓纂巻四十六」著者は宝応朱彬揖とあります。宝応は元号か地名で、朱彬揖(揖の字は手偏ではなく車偏)という姓名の人物が解説した漢文の全文が五頁あり、その後に先生が読み下しした文章(日本語)が四頁あります。

礼記射義は非常に古い時代に書かれた漢文であり、文字も内容も極めて難解であるので、私には全く歯が立ちません。

先生はその全ての漢字に振り仮名を付けて読み易くしてくれましたので、教本の文章だけでなく射義編の全文を読むことができます。それでも文章が極めて長く、難しい文字が多数あり難解なものです。自我流の解釈なので、間違いもあると思いますが、勇気を奮って解釈に挑戦してみます。

2)故松井巌先生の「礼記射義・解説」


松井先生の論文は、礼記射義の書かれた時代背景、儒教の精神、および射義編の構成について丁寧に解説されたものです。ただ、その解説の記述が詳細にわたり、また他の弓術書なども加えて説明しているため、かえってなかなか届かないように感じるのは、自分の理解力と我慢力の不足のせいかも知れません。

これはインターネットで読むことができますし、「道の弓」という題名で出版されていますので、興味のあるかたはお読みください。

3.礼記射義の時代背景


礼記は紀元前6世紀頃の春秋時代に魯の国の宰相であった孔子が著述した「儒教」の理念である「論語」、「四書五経」などの膨大な文書の中で、礼について記したものであり、その第46巻が射義編である。

春秋時代は周王朝の末期であったが、長年に渉って群雄割拠となり乱れていたので、孔子は、古(いにしえ)の周王朝が暴虐政治の殷王朝を倒して中原に統一国家を樹立した頃(紀元前1000年頃)の統治体制を理想と考えました。

それは理想の人格者である天子の元に、諸侯、卿太夫、士は君臣の礼を守り、長幼の序を守り、徳を以って民を納め、親は子を慈しめば、子は親に孝を、民は官を敬い、臣は君に仕え、諸侯は天子に忠誠を尽くして国家は安泰となると云う考えです。これは封建制(封侯建国制)と呼ばれ、諸侯の合議制で統治するものでした。

4.礼記射義訓纂の概要


徳田先生が読み下した訓算を読むと、教本の「礼記射義」は最初の4行目から「故に」で始まり、前半の「射は、進退周還必ず礼に中り、(中略)、徳行を観るべし」とあり、次に約50行の文章の後に、後半の「射は仁の道なり、(中略)、即ち己に勝つものを怨まず、反ってこれを己に求むるのみ」があり、その後に8行の文章があります。したがって、射義編の冒頭と終段の文章が切り取られて編集されたものと云えます。

射義編は非常に長い文章ですが、この二か所以外の部分では直接射法に関わる記述ではなく、射と礼式・宴席・酒席(飲食)のこと、儒教理念のこと、政治・領地・人事を射の良否で諮ること、君子の争いについて記述しています。これが教本の文章から省略した所以であろうと思います。

5.礼記射義訓纂の書き出し


教本には載せられていない礼記射義の書き出しの4行は、「古(いにしえ)は諸侯の射には必ず先ず燕礼(えんれい)を行う。卿大夫(きょうだいふ)の射には必ず先ず郷飲酒(ごういんしゅ)の礼を行う。故に燕礼は君臣の義を明らかにする所以(ゆえん)なり。郷飲酒の礼は長幼の序を明らかにする所以なり。」となっています。

前に書いたように孔子は紀元前5世紀の人ですが、七国が覇を求めて争う乱世であったので、孔子の思想(儒教)はさらに500年古い周の成立時(武帝)の体制を理想の国家体制とするものでした。

「古の聖君の治めた時代には、諸侯の射会には先ず燕礼を行ふ。天子と諸侯の君臣の義を明らかにするためである。卿大夫の射会には先ず郷飲酒の礼を行い、諸侯と卿大夫との長幼の序を明らかにするためである。」と解釈します。

天子は周王、諸侯は各国王(春秋の七国など各地域の諸侯は国を名乗った)のこと、卿大夫は各国の大臣のことと思われる。燕礼が何かは知らないが、天子の御前で行う宴席であり、郷飲酒礼は諸侯の御前で行う宴席であり、君臣、長幼の序列によって、位をわきまえて射を行うものと思われる。このように解釈すると現代の礼・射とは全く異なるが、何しろ2,500年前の時代の王侯貴族の宴礼・射であるので、違って当然でしょう。

それにしても、孔子はお酒と射が大得意であったと思われます。

註)松井先生の「礼記射義の解説」を引用して註釈する。
・射には大射・賓射・燕射・聘射・郷射・州射・武射・軍射がある。
・大射は天子が自ら行う射、燕射は天子が諸侯を集めて行う射である。
・燕射は先ず、酒宴を開き、この間に君臣の義を明らかにする礼である。
・郷射は卿大夫が集まって行う射であり、先ずこれも酒宴を開き、長幼の序を明らかにする礼である。


6.礼記射義(教本の前半)


「故に」、「射は進退周還必ず礼に中る。内志正しく、外体直くして、然る後弓矢を持ること審固なり、弓矢を持ること審固にして、然る後に以って中るというべし。これ以って徳行を観るべし。」教本にあるおなじみの文章ですが、原文には、「故に」から始まっています。「だから」「したがって」という意味の接頭語ですので、この前の文を省略すれば繋がりませんので、これも省略したものと思います。

「したがって、射手は射場への入退場から何処で回って射位に着くなどの全ての起居振舞は必ず礼の作法に則って行うものである。先ず内面的には志(考え)を正しく保ち、外面的には体を真っ直ぐにする必要があり、然る後に弓矢を執るにあたって、先ずは的を見定めること(目当て)審固(つまびらかで確実)にして、次に臂力を使って弓矢を持すること審固であれば、正鵠に的中するものである。すなわち射は全て礼に中り、心も体も正しく、弓矢をとること審固なれば、その射を見て、その人の徳行を知ることができる。」

7.審固に関連して、「審法を論ず」


昭和の初め頃に同志社大学の弓道部監督であった小林治道(柴山居士)先生は名著「竹林射法七道」の巻末の参考篇に「礼記射義篇」と「射学正宗」の二つを解説しています。

現代弓道の射法八節に対して、古くは七道、あるいは五身(味)と云い、中国射法では「射学五法」に相当するものです。

1)審法(しんぽう):五身では目当て(足踏・胴造・弓構)
2)彀法(こうほう)やごろと同じ字:引き分け
3)均法(きんほう):会
4)軽法(けいほう):離れ
5)注法(ちゅうほう):見込み、残身

審法を論ず
矢を発つに必ず先ず、一の主意を定む。意は心に在りて、目に発す、故に審を先となす。審の工夫直に貫いて、到底して最後の注の字と相照応す、共に目を以って主となす。
故に射んとせば、先ず目を以って審定し、而して後に肩臂(かたひじ)の衆力(総力)これに従って発す。審(ねらい)は詳らか(つまびらか)に見定めるもので、視力を主とするものである。射の始めから最後の注(見込み)に至るまで、審(ねらい)に周到なる注意を払うて動作することを云うのである。以下略


8.礼記射義訓纂(中間の文章)


「−−徳行を観るべし」と「射は仁の道なり。−−」の中間には読み下し文で約50行の長文があり、孔子の理想とする儒教の身分制度、祭(政治・統治)体制、採用、および身分による射の意味、的(目標)とその結果に対する褒賞について記述しています。しかし、解読不能の言葉も多いので、判る部分のみ簡単に趣旨を摘み食いして紹介します。
・天子は官の備わるを楽しみ、国安らかの故、射は盛徳を観る所以なり。故に射を以って諸侯、卿大夫、士を選ぶ。これを飾(ととの)うるに礼楽を尽くし、ゆえに聖王務む。
・諸侯は天子に会う時を以って節となし、暴乱の災い無くして、功成りて、徳を行う。
・卿大夫は法に従うをもって、士は職を失わざるを以って、徳を行い、功なる。
・天子は毎年、諸侯から士の貢献を受けて、射宮を開催し、的中の良否によって、祭への参与、領地の褒賞を与える、これすなわち誉なり。以って諸侯、君臣、志を射に尽くす。
・天子は国を制し、諸侯は務む、天子は諸侯を養う所以にして、兵を用いず、諸侯自ずから正しきを行う備えなり。
・人の父たるものは父の的(鵠)を、子は子の、君臣は君臣の夫々の的を射る。
・天子の主催する大射は諸侯のために行う。射て中れば諸侯は即ち為すことを得、祭に与かるを得、地増すを以ってす。中らざれば即ち為すことを得ず、祭に与かるを得ず、責めありて地削るを以ってす。

このように、射の結果には極めて厳しい賞罰があったのです、これは大変なことです。自分の射の出来によって、妻子が路頭に迷うだけではなく、領地まで削られるとは、現代の射会の表彰とは比較にならないものです。

この後の文章に「己に勝つものを怨みず」とあることの厳しい意味が解ってきました。

9.礼記射義(教本の後半)


「射は仁の道なり。射は正しくこれを己に求む、己正しくして後発す、発して中らざれば、即ち己に勝つ者を怨まず、反ってこれを己に求むるのみ」。おなじみの文章です。

松井先生の解説を摘み食いすれば、「射ることは人として理想のあり方である仁の道を行うことと同じです。それは常に礼の理念に従って行動し、基本に忠実な射を求めて、射技・体配をするに至らなければ、正しい的中は得られない。そのうえで射を競い、己を正しくして発した積りでも、中らないときは、その結果、厳しいお咎めや罰を受けることになろうとも、己に勝った者を怨むのではなく、的中を得られなかった本当の理由を、自分自身に求めて反省し、本当に正しい射を求めて高めるように努力しなければならない。是こそが仁の道であり、人徳をあらわすものである。」

10.礼記射義訓纂(終段)


教本の礼記射義の後ろに、数行の文章があります。

孔子曰く(のたまわく)、君子争う所なし。必ずや射か、揖譲(ゆうじょう)して上り下って飲む、その争いや君子。孔子曰く、射は何を以って射、何を以って聞く、声に従って発し、発して正鵠(せいこく:的心)を失わざる者、それ唯賢者か若しくはそれ不肖(ふしょう)の人か、即ち彼まさにいずくんぞ能く(よく)以って中てん。
詩に云う、彼の的に以って祈り有りて発す。なんじ爵(しゃく)を祈り、求むるなり。中りを求むるを以って爵を辞するなり。酒は老いを養う所以なり、病を養う所以なり。中りを求め以って爵を辞するは、養いを辞するなり。

これを解説したいと思いますが、中々難解ですので自信がありません。眉に唾を付けてお読みください。

「孔子曰く、君子の射は負ければ、責めありて地位や領地に影響するにも関わらず、自分の射を反省するのみであるので、争いと云うものが生じない。射を行うにはまず揖をして登って射る、また下って譲り合い、席について酒を酌み交わす。それが君子の競い合いであり、礼儀である。
また孔子曰く、射とは何か、射の何を聞くか、音に従って発し、発して常に正鵠(的心)を外さない者はそれだけで賢者であるか、あるいは不肖の人であるか判らないが、善く的中する。
詩に云う、彼は自分の的に的中を祈って発するので善く的中する。しかし、貴方は爵(地位)を得たいと求めて、心が動くので中らず、爵(地位)を失う。酒は老いを養い、病をも養う(百薬の長)ものであるが、中りを求める時は中らず、爵も養いも失うものである。」

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