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12-21 「礼記射義」の解説

これまでにも、同志社大学弓道部の古い師範である小林治道の「竹林射法七道」(昭和6年出版)については文の巻(12−13、15、16)に紹介しましたが、その本の巻末に「礼記射義篇抄解」があり、実に味わいのある文章なので、その趣旨を現代風に訳してみます。

1)射は進退周旋必ず礼に中り
射ることは、まず進退周旋(立居ふるまい:体配)から習熟してかからねばならない、そして射るときに及んでは、その動作は必ず礼にしたがって、射儀を失うことがないようにしなければならない。内面的には志を正しく持ち、心は自然で安らかにし、外面的には体を必ず真っ直ぐに保つことで、心身が自然に豊かになるのである。

2)弓矢を執ること審固なり
矢を発するには、必ず最初に主意(的)を定める必要がある。主意は心にあって眼に発する。このため審(ねらい)を先とするのである。

中国射法「射学正宗」の射学五法(射法八節に相当)の第一は「審法を論ず」であり、日本の古流射法では「目当て」と云い、現代では足踏み・胴造り・弓構えに相当する。審の方法は視力によって詳らかに見定めるものであり、その後に肩臂などの総体の力を用いて矢を発する。審は視力を主とするものであり、最後の注法(見込み:残心)と相照応する。すなわち射の初めから最後まで周到な注意を払って動作することをいう。

志が正しければ、視力の働きで自然に弓矢に連なって、照準を定めることが審らか(つまびらか)である。体が直ければ、臂(ひじ)力の強さが弓矢に及んで、これを持すること堅固となるのである。

精神と体力との両方が全うして弓矢を持することが審固であれば、初めて正鵠(的心)に的中するというものである。正鵠は単に的心だけでなく、射法の真髄とも解釈できる。

3)これもって徳行を観るべし
射は精神、体力の修養を積む理由であるから、その射を見ればその徳行修養の状態が窺われるものである。ゆえに、その射を観ればその人の徳行を知ることができるのである。

4)射は仁の道なり、射は正しきを己に求む
この節は前に述べたように、射はまず内志正しく外体直くなければ、正鵠を得ることができないものであるので、己自身を正直(正しく真っ直ぐ)にしなければならないという外に仕様のないものである。このように己を正直にして、その後に矢を発すべきである。このように行った以上は、発して正鵠に中らない場合でも、全く自分一人の責任であるので、己に勝ったものを怨むなどはすべき理由がない。むしろ振り返って正鵠を得られなかった原因を己自身で反省する以外にないのである。

ひっきょう、射は自己反省の道であり、仁という言葉の定義に当てはまるものである。

コメント

有難う御座います。
仰せの通り春秋時代の敵を倒すことに重きを置いた思想では有る事かも知れませんね。
今の私達は平穏の中で楽しむ弓射に明け暮れして其の時々の時代の重さを理解できないままに有るのかも知れません。
この射法.COMにどれだけ教えられ自身の思いにどれだけの影響を受けさせられているか計り知れません。
拙ない質問にお答え戴き恐縮致して居ります。
有難う御座いました。
これを機に未熟者乍参加させて戴ければと思っています。
よろしくお願いいたします。
浜野 正司 | 2016/07/01 23:04
 浜野様コメントを有難うございます。多分貴方は1−11の「礼記射義・射法訓」についてもお読み頂いていることと思います。
礼記射義は紀元前の古い時代に孔子が教えた儒教の書物の中の「礼記」の一部に射義編があり、その中の冒頭の文章と後半の文章を切り取って良いとこどりして、弓道教本に規範的な文章として、射法訓とともに取り込まれたものです。
 原文も読まれているとのことですが、これは、紀元前の中国の射法、礼法であるので、現代の日本弓道の射法、礼法とは全く異なるものです。中国射法は上下対称の短い湾弓であり、半身で顎の前まで引いて直接矢を視準する射法であり、和弓とは全く異なる。また中国では坐る習慣がないので立ったままの所作であり、弓道の起居進退とは全く異なっています。
 ただ、生活習慣、礼法の違いはあるが、その意味合い突き詰めると同じ規範が成り立っており、相通じるところが凄いと云えます。
 現代弓道の洗練された精神からすれば、己に勝つものを怨むと云うような低俗なものは考えられないが、何せ紀元前の戦乱激しい春秋時代であり、敵を戦争で倒すための武術であったので、綺麗ごとではなかったのです。時代的背景を読み取る必要があります。
 しかし、上に述べたように長い文章の中から、文章を切り取って繋げたために、文体として違和感が生じているように思います。
 
櫻井孝 | 2016/07/01 22:03
初めてコメントさせて戴きます。
何か有る度にこのサイトに入り色々と勉強させて戴いています。
この礼記射義についての解釈の中自分なりに合点の行かない部分があり悶々としております。
本来の礼記射義の原文なども垣間見て奥の深さを痛感して居る処ですが、この解釈の1〜3までは奥深く踏み込んでの理解?を努めていますが4項において”射は仁の道なり…己正しくして”までの行程は納得するのですがその後の下りの”発して中ざる時は相手を恨みず…”の裏に何か違った思いがあるのではと思っています。
対峙する相手は自身と的とのみで恨む相手とは何だろうかと考えています。
動かざる的を射るに当たり阻害する相手は己のみと思っています、
当然の事の中敢えて”相手を恨みず”と有る事に何か違った解釈が有るのではと思っています。
的中の事で無く射に対する射品・品格としても恨むべき相手とは…と思ってしまいます。
何かの思いや考えがありましたらお知らせください。
本当に勉強させて戴いています。
有難う御座います。
浜野 正司 | 2016/06/28 20:10

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