home >  射法は寝て待て > 歩射

ユガケ改造二題

同門の先輩お二人からユガケの改造を依頼されました。

改造を終えたK木先輩の諸ガケ

まず、K木先輩の三ッガケです。このユガケはK木先輩が大学生時代に使用していたもので、約50年前に松波佐平弓具店で誂えたそうです。当時は店主の奥さんがユガケを縫っていたとのことで、これも奥さん作です。相当使い込まれていて、K木先輩が大学生時代に相当な矢数をかけていたことが窺えます。このユガケの使えそうな部品を利用して諸ガケに改造したいというご依頼です。

事前に合わせてみたところ、私とK木先輩の手は私の方が掌は大きいのですが指の長さはほぼ同じでした。少し自分の手よりも小さめには作りますがジャストサイズにならなくても勘弁して下さいという条件でお引き受けしました。

約50年前の三ッガケを分解

まず帽子の状態を確かめるべく親指を解いたところ、角木にヒビもなく予想以上にしっかりとしていました。二の腰が少し柔らかくなっていましたが、ここには耐衝撃性の瞬間接着剤を含浸させて補強しました。弦枕も無傷で外せましたので、これも再利用します。それ以外で使えたのは紫紐だけでした。

以前製作した自分用の習作とは違ってチビ小唐の革で新しい台革を縫い上げ、中指と薬指は紫で継ぎました。帽子は角木を削って少し形を変えようかと思ったのですが、あくまでも新作ではなく改造なので(かなりの大改造ですが)親指廻りはなるべく元のままにすることにしました。

改造を終えたK木先輩の諸ガケ

帽子革をかぶせて、出来るだけ元の据え方に近い形で台革へ据えます。そして弦枕も元の位置に接着し、腹革を貼って弦溝にコテを当てたら、改めて50年前の松波の三ッガケはかなり平付け気味の仕立てだったことに気づきました。帽子も比較的長めです。これが当時の流行だったのか、松波独自の仕様だったのかは分かりません。

改造を終えたK木先輩の諸ガケ

念のため書き添えますが、この諸ガケは思い出の詰まった三ッガケを生き返らせたいという趣旨で製作していますので、弦枕や帽子の形や据え方は必ずしも小笠原流の流儀に則ったものではありません。紫紐も諸ガケとしては幅広過ぎます。誤解無きよう。

改造を終えたK木先輩の諸ガケ

次は、I川先輩の五本指竹林ガケです。ちなみにK木先輩もI川先輩も弓道四方山話の櫻井先輩と同期です。つまり私の中学高校弓道部の20年先輩です。

さて、このI川先輩の特殊なユガケは竹林流のある射手が自作したものを譲り受けたのだそうです。その射手は一時期小笠原流に学んだこともあったそうで、恐らく儀式で自分が使う目的で作ったのだろうと思われます。遠目には普通の諸ガケに見えます。

改造を終えたI川先輩の五本指竹林ガケ

竹林ガケを五本指にしただけかと思ったら、何故か四ッで取り懸ける仕立てで帽子が非常に長くなっていました。I川先輩がこれで弓を引いてみたところ、どうしても離れで引っ掛かるとのこと。そこで帽子を短くして三ッで使いたいというご依頼です。

ところで、小笠原流の諸ガケは四ッで取り懸ける人もいるからカケ師は注文を受けるときに気をつけなければならない云々ということが書かれている本もありますが、 正式には戦場で特に必要がある場合(ことさら強い弓を引かねばならないとか寒くて指がかじかんでいるとか)を除いて三ッ以外で取り懸けることはないと私は教わりました。

それはさておき、この特殊なユガケの帽子と台革の接続部は縫い目を樹脂のようなもので固めてあって外せそうにありません。そうすると帽子先を解いて頭から削るしかないのですが、どれだけ親指を短くできるかは角木の内側がどこまで深く穿ってあるのかによります。I川先輩はそれで出来る目一杯で良いとのことなのでお引き受けしました。ついでに薬指に貼ってある脂革は撤去してくれとのこと。

改造を終えたI川先輩の五本指竹林ガケ

この「脂革(やにかわ)」というのは竹林ガケの特徴の一つで、人差し指と中指の腹、そして帽子の先に貼る表面がザラザラした当て革のことです。この当て革にギリ粉を付けるので脂革と呼びます。ここはユガケの一番消耗する部分なので簡単に交換できるようになっているのです。従って本来は糊で貼るだけで縫いつけることはしません。脂革には鹿の頭部や首の部分の革を用いると言われています。

まず帽子先の脂革を剥がして、さらに縫い目(これも接着剤で固めてあって難儀した)を切って帽子革をめくると、角木には随分濃い褐色の固い木材が使われていました。弓道講座に小沼豊月氏は角木の材には椿の枝木を使うと書いていますがこれがそうなのでしょうか。

中に指を突っ込みながら見当をつけて鋸で帽子先を切り落としたら、丁度空洞の先を少しかすめたところでした。親指の内革の先がチラリと見えたので、鋸で出た木粉をエポキシ接着剤に混ぜて作ったパテを盛って塞ぎ、帽子を削って形を整えます。非常に堅くて削りにくい木材で難儀しましたが、多少でも離れで弦が引っ掛かりにくくなるよう指の腹側も軽く反るようにしておきました。ここまでやって親指は1センチほど短くなりました。改造前の写真を撮っていないのですが、一見して帽子が短くなったと感じます。

改造を終えたI川先輩の五本指竹林ガケ

めくった革を元に戻し、帽子が短くなった分だけ余った革を切り取ってから縫います。新しい革で脂革を作って接着し、帽子の改造は完了。脂革よりも親指の付け根側には角が入っていません。ここは鹿革だけで固めてあって、指で押すとフカフカと柔らかくなっています。これを「節抜き」といって、やはり竹林ガケの特徴です。また帽子の形が扁平ですが、これも「ボラ頭」等と呼ばれる竹林ガケ独自の形状です。

次に、小紐通しの穴が小紐の付け根に近すぎて目一杯締めても手首がユルユルなので穴を奧へずらしました。そうしておいて縁を元の穴のところまでざっくりと切り取り、同時に掌も少し刳ります。さらに縁がガタガタしたラインだった筒の重ね目も滑らかになるよう一回り小さく切り取って形を整えました。縁には糊で貼り付けられた新聞紙が残っていました。恐らく新聞紙を型紙にして、それが動かないよう革に貼り付けてから裁断したのでしょう。弓道講座の小沼豊月氏の製作中写真にも同じような型紙の剥がし残しが見えます。最後に小紐の付け根のほころびを縫い直して、これで切った貼ったは終了。

改造を終えたI川先輩の五本指竹林ガケ

ユガケの機能とは無関係ですが、これを作った射手は紫継指にする際に指を縫いつけたまま染料をかけたようで、継ぎ目の付近に紫が染み出しています。かと思えば染め残しもあったりするので、薬指の脂革を剥がした跡の補修ついでに、染め残し部分には少し紫の染料を差しました。仕上げにコテで弦枕へ蝋を染み込ませ、全体を燻べ直して完成。

弦枕は竹林ガケの原則通り一文字ですが、これで四ッの取り懸けは無理があったと思います。

コメント

 佐野さんのコメント通り凄いですね。表の顔は火災報知機を製造販売する会社の社長さんですが、プロの弽師も顔負けですね。 私の55年来の旧友であるお二人の骨格も射形も癖までも考慮して、また古い弽の長所を生かしつつ、土台から作り直すのはビフォー/アフターの匠の技ですね。
櫻井孝 | 2016/07/10 09:46
 あれ、漢字が変換されないようです。弽は、『カケ』を漢字で書いたものです。
佐野 | 2014/02/07 23:20
 す・・・すごい! 1例目は改造というよりも、部品を利用した新作、と言っていいと思います。それもこんなにきれいに・・・ お仕事は、弽師さんですか?びっくりします。僕も作ってみたくなりました。
 作ってみようと思って、庭にあった椿をバッサリ切った時に、ちょうど位の枝を残していました。中をくりぬいたところで、その硬さに参ってしまって、途中でやめました。しかし、すでにできている帽子の角を利用すれば、そのほかはまだ皮なので、作ろうと思ったらできるのですね。ちょっと、本気で作りたくなってきました。
 改造の域を超えて、すでに、弽の新作です。
佐野 | 2014/02/07 13:54

この記事へのコメントはこちらのフォームから送信してください

記事カテゴリ
最近のコメント
recommend
小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

著者プロフィール
過去の記事
others
東海弓道倶楽部