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手袋考4

画像は自作諸ガケ(堅帽子)です。

諸ガケ2

私は歩射で諸ガケを使い始めた二十年あまり前に酷いモタレを発症しました。モタレはそれ以前からの持病ではありますが、このときは最悪でした。どうも駿河三慶で誂えた諸ガケの帽子が私には少し長すぎるようで落ち着かず、さらに弦枕がやや指先側にあったため、やんわり帽子を押さえていると暴発気味に弦が出て行くので怖じ気がついたようです。

私は握りしめたら緩めないと離せないからダメだと思いこんでいたので、モタレから脱するためとにかく指の力を抜こうともがいていました。しかし、そうすればするほど離れで腕全体が緩みそうになって慌ててしがむ。酷いときはビクになる。また引き戻す。の繰り返しでした。

この窮状を救ってくれたのが愛知歩射同門の先輩でした。

まず帽子をしっかり人差指・中指で押さえること。その上で、離れで帽子が起き上がるのは中の親指を反らす力によるのではなく、弦が帽子を押し退 けていく力によるのだと教わりました。それを体感するには(控堅めのあるユガケで)帽子から親指を抜いて、空の帽子を人差指・中指で押さえて取り懸けてみよとも教わりました。

このアドバイスであっさりと窮地を脱しました。実際には帽子から親指を全部抜き出して試すことはしませんでしたが、引取るに従って帽子が半抜けになるように心掛けると、人差指・中指の二指で弦を保持している感覚になります。

ここまで書くと、無争ガケの岡崎先生の考え方と似ていると思われるでしょう。

私は岡崎先生と電話で少しだけお話ししたことがあるのですが、そのときは岡崎理論にあまりピンときませんでした。しかし、もし帽子から親指を全部抜いてみれば云々という説明だったら、ひょっとすると腑に落ちて無争ガケを注文していたかもしれません。ただ、基本的に無争ガケは諸ガケと同じですと仰っていたことは記憶に残りました。

無争ガケも諸ガケも二の腰が柔らかくできていて親指の屈伸を妨げません。要するに無争ガケとは「帽子が、弦に負けて、パタンと軽く起きる」ことを追求して作られていて、その機能は諸ガケも同じということを岡崎先生は仰ったのでしょう。

また、無争ガケにはフックというオプション部品があります。これは帽子の後端(二の腰の手首側端)に小紐を通す乳で、「弦に帽子を任せて引き分けた時、帽子がスムーズに適当な分だけ、親指から抜け出せるように」する工夫とのことです。これは諸ガケで小紐を帽子にたすきがけにするのと同じです。

これも諸ガケでよくある誤解ですが、帽子に小紐をたすきがけにするのは親指を引っ張り上げて爪弾きを補助するためでもありませんし、控え固めがない代わりに親指を握り込まないよう縛ってあるわけでもありません。これは親指がスッポリ帽子から抜け出ないようにするためなのです。帽子のない手袋でも親指に小紐をたすきがけしますが、これから考えても親指の脱げ防止だということが分かります。

さて、先輩のアドバイスでモタレが治る前に私は諸ガケを修理に出して帽子も弦枕も作り替えていました。焼津の三慶宅まで出向いてモタレの窮状を訴え修理を依頼しました。菅沼さん(三慶師)はいい顔をしませんでしたが、私の希望通りに直してくれました。製作ミスではないので無料修理ではなく有料改造です。

その後に私は弓具店が三慶師に作らせたという既製品の諸ガケを入手しました。店でたまたま手を挿したらピッタリ合ったのです。そのとき既に三慶師は廃業していましたので、これを逃したらもう入手不能だという思いで衝動買いしました。

不思議なことに、この既製品は親指以外の四指が自分の手形で誂えたものとほとんど同じ寸法なのに帽子だけ短いのです。それは誂え品の修理後よりも更に帽子が短く、弦枕もずっと指の根の方にあります。私の親指は標準より特別長いということはありません。

帽子の長さについては、件のアドバイスをくれた先輩の諸ガケも三慶で短く直したとのことなので、当時三慶師が考える正しい諸ガケの帽子は相当長めだったのだと思います。既製品の帽子を短くしたのは三慶師の考えが変わったのか弓具店のリクエストなのか分かりません。弓具店のリクエストだとすれば、弦枕の位置も現代弓道向けにしてしまったのかもしれません。

今になって思えば私の技量不足で折角誂えた名匠三慶の諸ガケをいじり回してしまったのがつくづく悔やまれます。もう一度オリジナルの弦枕で諸ガケを誂えたいと思えども、菅沼さんが鬼籍に入られた今となってはそれも叶いません。

そこで、堅帽子の諸ガケを自作することにしました。

諸ガケ

自作と言っても有りものの材料の組み合わせです。既製品のユガケを分解して取りだした堅帽子を、使わなくなった歩射用手袋の試作品に据えただけです。

分解したユガケは中学生の時に初めて買った既製品の控え無しで当時確か3800円だったと思います。あちこち自分で革を貼ったり縫ったりと修理して使いましたが、革もボロボロになったのでユガケの構造を勉強するため分解してありました。

右下は分解した控え無し

この堅帽子を好みの形に削り直してから革を貼り込みます。革は歩射用手袋試作時に残った端切れです。そもそもその試作自体も騎射手袋製作で残った端切れの継ぎ合わせでした。鹿革は高価なので無駄に出来ません。

手袋の親指から当て革を剥がし、帽子に入る部分だけ革を剥いて少し薄くします。本来は帽子の裏革は別部品ですが今回は手袋のまま一体としました。そして帽子を据えて床革で作った弦枕を貼り、最後に腹革を被せて完成です。

諸ガケ3

弦枕の位置は指先寄りを試してみることにしました。それ以外の帽子の据え方や弦枕の位置は小笠原流の引取に適した(と現時点で私が考える)仕方にしました。良し悪しが判別つきやすいように大げさ目で。

いつかきちんと堅帽子の諸ガケを自作するための習作のつもりでしたが、これが案外使えます。稽古で先輩方にも試して貰いましたが問題なく使えるとの評価でした。今回は中鹿の革でしたので耐久性が今一つですが、次回はもう少し上等な革を使ってみようと思います。

コメント

引目籐について分かる限りのことを記事にまとめました。御覧下さい。

http://www.syaho.com/sb.cgi?eid=325
峯 茂康 | 2014/01/11 15:33
 峯茂康様
 お返事ありがとうございました。櫻井様には、尾州竹林流の事をいろいろと教えていただいております。高知には、年1回、宇佐美義光範士が教えに来てくださっています。高知という辺境には、ありがたい話です。
 ここ最近、書籍をいろいろと読んでいる中で、一つ見つけた疑問、ご存知でしたらご教示ください。現在の一般に市販される竹弓には、5か所の籐を巻いていますが、握りの下のものを『蟇目叩籐』で、矢摺籐の上は『匂籐』と理解しています。この『蟇目叩籐』は、この部分で、蟇目のそくりの中に入った砂をコンコンと叩いて落とす、そのあたりの籐であるためにこの名称がついた、と読んだことがあります。
 しかし、本多利實翁の口述の記録の中に、「矢摺籐の上に巻くものを蟇目叩籐という。これは、馬上で矢を手挟んだ時に、ちょうど蟇目鏑矢がこのあたりとぶつかって、カタカタと音が鳴って弓を叩くので、蟇目叩籐という。」という記載を見つけました。
 流鏑馬のたしなみも、馬に乗って弓を引くなんていうことは僕には夢のまた夢、蟇目鏑を引くのもまた、夢のまた夢。どちらが本当なのか、僕にはさっぱりわかりません。峯様がそのあたりの事をご存知でしたらご教示願えますでしょうか。面倒なことを質問してすみません。
佐野 | 2014/01/07 22:13
佐野様

コメント有り難うございます。大変励みになります。佐野様のことは櫻井先輩が「高知に非常に熱心な弓人がいる」と話してみえました。当Webサイトが佐野様の古流研究の一助となれば幸いです。

ちなみに私も大学時代は武射系正面打起し(弓道教本的表現ですね)でした。
峯 茂康 | 2014/01/07 20:00
 初めて書き込ませていただきます。高知県で弓道をしている、佐野良仁と申します。櫻井孝様とは折々やりとりをさせていただいております。私の流派は、いわゆる弓道教本の正面打ち起しの武射系統で、本多流に近いものです。(正統な本多流ではありません。)が、もとをただせば、尾州竹林流が私の引き方の根本であることを知って、櫻井様にはいろいろとご教示いただいた次第でした。
 昨年からこのサイトを拝見して、諸弽の自作、手へのなじみ、素晴らしい出来具合で感嘆しておりました。
 年末に、ここで紹介されている『弓と礼のこころ』を入手して、一気に読ませていただきました。弓を引く心構え、それがあっての弓道で、型と形は違うもの、ということが非常に印象的でした。また、今年の1月2日、BSジャパンでしたか、第31世宗家・小笠原清忠先生、ご嫡男の小笠原清基さんの騎射の特集があり、興味深く拝見しました。
 小笠原流弓馬術礼法は全く知らない世界でしたので、とても興味深く読ませていただき、今後も楽しみにしております。いろいろとご教示願えましたら幸いに存じます。
佐野 | 2014/01/04 13:48

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