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引目籐

読者から以下のような疑問が寄せられました。

現在の一般に市販される竹弓には、5か所の籐を巻いていますが、握りの下のものを『蟇目叩籐』で、矢摺籐の上は『匂籐』と理解しています。この『蟇目叩籐』は、この部分で、蟇目のそくりの中に入った砂をコンコンと叩いて落とす、そのあたりの籐であるためにこの名称がついた、と読んだことがあります。
しかし、本多利實翁の口述の記録の中に、「矢摺籐の上に巻くものを蟇目叩籐という。これは、馬上で矢を手挟んだ時に、ちょうど蟇目鏑矢がこのあたりとぶつかって、カタカタと音が鳴って弓を叩くので、蟇目叩籐という。」という記載を見つけました。

蟇目叩籐とは握りの下に巻くものなのか、それとも矢摺籐の上に巻くものなのか。果たしてどちらなのでしょうか。

国会図書館デジタル化資料「弓道講義」

まず、本多利實翁口述(弓道講義・弓具の部11−12ページ)のように矢摺籐上部を蟇目鏑で打つには鏑が上になるよう矢を弓に添えて持たねばなりません。他流の習いは存じませんが、少なくとも小笠原流騎射では矢を弓に添えて持つ際は羽根が上です。これも陰陽がどうとか矢先はそもそも竹の根なのだから下にするべしだとかと言うまじないじみたことではなく、弓に添えて持った矢を馬上で番えようとするなら筈が上にある方が手に取りやすいという合理的な理由だと私は思います。頭で考えると分かりにくいですが、実際に馬に跨ってみると身体が納得します。

また、小笠原流高弟斎藤直芳氏の著述に拠れば握り下の籐が「引目籐」で、同様に握り下の節は「引目節」です。浦上栄氏の「弓具の見方と扱い方」に掲載された図解も握り下が「蟇目タタキ籐」になっていますし、現代弓道小事典にも握り下と書かれています。

従って(こういう名所は流儀によって様々ですので何が正解というものではありませんが)蟇目叩は握り下ということで宜しいのではないでしょうか。

ただ、この辺りで蟇目鏑を叩いて砂を落とすというような故実を私は知りませんし、それに類する所作も見たことはありません。勉強不足でお恥ずかしい限りですが、蟇目叩籐について改めて現代弓道小事典にあたってみた過程で匂籐とは矢摺籐の上に巻くものだけを指すのではないということを知り、お陰様でこれはひとつ勉強になりました。

匂籐はどれか一つの籐の呼称ではなく、幅広く巻いた籐の脇に添えて狭く巻く籐の総称だそうです。「匂」というのは女房装束の襲の色目(かさねのいろめ)において色の濃淡のグラデーションを指す語です。武具においても鎧の威(おどし=緒通し)に「匂威」というものがあります。これは小札を連結する緒の色の上が濃く、下へいくほど淡くなるものです。古書には「匂重籐」なる記述も見受けますが、弓の場合は色ではなく籐の幅や間隔(寄せ具合)でグラデーションを表現したのだろうと思われます。

矢摺籐の上に巻く籐は「化粧籐」と呼ぶこともありますが、これは「一種の飾りの籐であるから必ず巻くべきものとは限らない」、そして「鏑籐・千段巻・日輪巻・月輪巻・矢摺籐・蟇目叩籐以外に巻く籐は、総て化粧籐と云ってもよいものである」とのこと。つまり、現代弓道小事典に拠れば式の籐以外はどれも化粧籐ということです。

由来がはっきりしない弓の名所といえば鳥打節についても諸説あるようです。一説に伏鳥(地に伏せて草むらに隠れる鳥)を射たとき飛び立って逃げる鳥を弓で叩き落とすにはこの節の辺りが良いからなどと言われますが、得てしてこういう筋立てのはっきりした(ように思える)説は後付けだったりします。他にも神話や教典から引いたような説は大方権威付けが目的と思われますので、取り敢えず「そんなことを言う人もいるよね」くらいに受け止めておくのが無難です。

というのも、伝書や口伝聞き書きの類は嘘が書いてあることも多いので注意が必要だからです。例えば詳しいことは口伝にてと書いてあれば少なくともそこまでは奥義の一端が書かれていると思いがちですが、実は全く逆のことが書いてあったりします(本当は下なのに上であるとか)。これは師について稽古した人なら引っかけだと必ず分かるという部分でわざと嘘を書いておくのです。伝書は一旦作ってしまえば門外流出を防げないという前提でトラップが仕掛けてあるわけです。読んだだけでは分からないように。

もう一つ気をつけなければいけないのは漢字です。伝書では音が同じというだけで別の漢字を当ててあることはいくらでもあります。字の違いにことさら着目して深読みする人もいますが、ひょっとするとあまり意味がないかもしれません。正直に読むとトラップにひっかかり、深読みしても意味がないというのは難儀なことです。

世阿弥が著した能の伝書である「風姿花伝」には「秘すれば花」という名句が書かれています。有り体に言うと「隠すから値打ちがある」という意味のようですが、それは隠さなければ特別驚くような内容ではないということでもあります。風姿花伝も秘伝書として明治時代になるまで隠されていましたが、公開されてみると内容は普通の芸術論やリーダーシップ論だったそうです。

武芸の世界では「初心すなわち奥義」と言われますが、まさに奥義というのは基本が当たり前にできることであるというのは芸能の共通事なのでしょう。難しいことをさらりとやってのけるのはただの「上手」で、当たり前のことを当たり前にやって誰からも驚かれもしないのが「達人」ということになりましょうか。

追記:
貞丈雑記で蟇目叩籐についての記述を見つけました。当初この手の故事が書いてあるとすれば貞丈雑記だろうと思って調べたのですが血眼になっているときは発見できず、今朝起き抜けにパラパラと拾い読みをしていたら有りました。調べ物というのはそんなものですね。以下採録。

蟇目たたきの籐は、にぎりの下の籐なり。これは笠懸・犬追物などは蟇目にて射るに、ひきめに沙土などつきたるを、にぎりの下辺にて沙土などをたてきて落すゆえ、ひきめたたきと云うなり。又蟇目にて人を射たおす事もあるゆえ、軍陣のゆみにも蟇目たたきと云うなり。

それから伊勢貞丈は鳥打について「弓馬故実弓の名所の図」で以下のようなことも言っています。出典不明ですが、貞丈雑記ではないと思います。

貞丈云 とり打はしかと一所をさして云に非ず 弓の肩丸くはり出したる所の辺をさして鳥打と云也 弓法私書に人に語るには鳥打の辺とかたる也 しかと鳥打と申さぬ也 辺と申す詞習なりと云へり 右の名所は射手方に用る名なり 近世弓作る者の方に用る名所 大鳥打 小鳥打 ひめそり などゝ云名を云 武士にはあまりをかしき事なり 射手方に用ひざる名なり 又云 右の図の形は古代の形なり 近世は上ほこをつよくそらせて五六寸ばかり弦のひたとつくやうにするなり 甚いやしき形なり 且上ほこをつよくそらせたるは弓くるひて外へかへりやすし 悪し 古代の形を用ふべきなり

武士は職人ことばを使うものではない。正しく射手ことばを使いなさいという苦言です。また、弦が上関板すれすれになるような弓が流行っているが故障の元なのでよしなさいとも言っています。

そもそもの弓の形もありますが、現代では把を低くする射手を多く見かけます。確かに細い弦で把を低く張ればピンピンと弾く音がしますが、それを本当の弦音だと思ってはいけないと小笠原流高弟斎藤直芳氏は戒めています。武士の弓は弦太く、把は高くあるべしです。実戦で命を預ける武器は丈夫が第一です。(2014年1月12日)

コメント

峯様
 本当に、ありがとうございます。追記: 以降の文書は、わたくしが見た文章と違ってもうすこし詳細なようです。思い出すに、わたくしの見た文章は、『弓道辭典 道鎮 實・著 (昭和12年10月 雄山閣発行)』だったかもしれません。今手元にないので、明日確認してみます。
 私のふとした疑問に、本当にお時間とお手間を取らせましてすみません、個人的には、非常にすっきりしました。どうもやはり、蟇目叩が上という記載よりは、下であることが最も支持される状況のようですね。
 またいろいろとご教示いただけましたら幸いです。わたくしも何か、お役にたてることがあればいいですが・・・
 
佐野 | 2014/01/12 21:53
佐野様

蟇目叩の故実に関する著述を見つけましたので追記しました。
峯 茂康 | 2014/01/12 09:30
 峯様
 詳細な解析、調べ事までしていただきまして、本当にありがとうございます。まさに、本多利實翁の引用は、この添付していただいた 弓道講義・弓具之部 です。鳥打の事も、「なるほど〜!」と思って以前読みましたが、いろいろな説があるのですね。
 そくりの砂を落とす話、これはいろいろ読んだ中でどこからの引用かちょっとわからなくなりましたが、またどこに書いてあったか探して報告いたします。
 しかし確かに、もっともらしく書いてあっても後付けの話、というのは、納得がいきますし、反対の表現にしてわざと惑わす、というのもなるほど、そうかもしれません。口述を記録するのも、間違い記録もあるかもしれませんね。
 籐の数は奇数でなければならないから、蟇目叩を巻いたならば、匂籐は巻かなければならない、と聞きました。
 道具の事は、日ごろ使っているものの、良くわからないことがたくさんあるので、いろいろ調べているととっても楽しく、半分ドツボにはまり込んでいるかもしれません。
佐野 | 2014/01/11 22:07

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