home >  弓道四方山話 > 巻の拾壱 「流水の巻」

11-13 日置流から竹林坊への継承の謎

1.日置に二流あり

竹林坊以前の日置流の伝承については、「四巻の書」の註に「日置に二流あり、伊賀の日置弥左衛門範次(1394年〜1427年)と大和の日置弾正正次の流れなり、当流は伊賀の日置なり」とあります。この二人の関係は同一人物が移り住んだもの、あるいは兄弟と云う説もありますが、仔細は不明です。

次に、安松左近丞吉次(伊賀)が1418年に日置弥左衛門から唯授一人を得、弓削甚左衛門繁次(近江)は安松吉次から1505年に唯授一人を得たとありますが、この間が八十四年間もあるので不信に思う人があり、「本朝武芸小伝」では二人の間に安松新三郎と弓削甚左衛門正次がいたとしていますが、仔細は不明です。

弓削繁次には相伝すべき者がいないため、弓書を三島大明神に奉納して没し、伊賀日置流の継承は中断しました。

2.竹林坊如成の継承

石堂家譜によれば、竹林坊如成は近江国蒲生郡須恵村(石堂村とも)に住む北村という郷士の末子であり、幼少から比叡山の竹林坊に住んでいました。もともと武家であり山伏であるので射芸を好み達人の域に達しましたが、「たまたま浪人(安松左近なるべし)が来て僧徒を集め教えたら、如成は奥義を窮め印可を得た」とあります。

これは石堂家の記録ですが、安松が竹林に教えたとすると、系譜的にも年代的にも矛盾します。

「尾張国竹林流繁盛記」の中の「竹林流弓術覚書」には、「石堂寺の住職となり弓場を設けて修行し、弓削氏に便りを送り日置流弓術を学び、妙を得た」とあります。

竹林坊は1551年に三島神社の日置流弓書を請出して伊賀日置流を継承しました。弓削は相伝すべきものがいなかったのに、なぜ竹林坊が後年になって請出すことが許されたか疑問です。

これには弓削の相伝から四十六年の差があるので、弓削の晩年には竹林坊がまだ若過ぎたためかも知れません。

その後、竹林坊は尾張清洲城主の松平忠吉候に仕え多数の門弟を育成し、「日置一遍の射」を著し射法を定めたので、日置流竹林派と呼ばれました。

3.竹林坊と日置流の故郷

インターネットで「日置流」、「吉田流・竹林派の故郷 蒲生野」(生弓会・多々良茂氏)を検索すると、日置流(吉田流)の本拠地と竹林坊の故郷が同じであるらしいので、別の視点から述べましょう。

日置弾正政次も日置弥左衛門も伝説上の人物であり、仔細は不明ですが、日置吉田流初代の吉田重賢は南近江の戦国大名六角氏の家臣で、蒲生郡川守城(現竜王町)を本拠地としていました。

日置流各派はこの吉田一族から九派(出雲、雪荷、大蔵、印西、道雪など)に分かれて発展したので、この付近に多くの遺跡が残っています。

竹林坊如成は姓を北村、あるいは石堂(石塔)と称し吉田家の祈願僧となり弓術修行に没頭したとあります。

4.弓術の故郷:蒲生野・雪野山

「吉田流・竹林派の故郷 蒲生野」には安土町、近江八幡、竜王町、雪野山の地図と写真が掲載されています。

雪野山の麓には吉田氏の川守城、印西の館(葛巻)、雪荷の館(川合)、竹林坊の館(須恵)、弓削という地名もります。その隣の左右神社が旧三島神社であり、静岡の三島神社ではなく地元の神社でした。非常に狭い範囲に弓道の歴史上の流祖たちが集まって修行していたのです。ロマンが掻き立てられます。

しかし、なぜ大和の日置、伊賀の日置と区別したものが、どちらでもなく近江(滋賀)であったのかは疑問のままです。東海道では伊賀の隣が甲賀、その隣が蒲生であり、すぐ近くの地域といえます。

5.石堂寺、石塔寺

グーグルの地図によれば、雪野山の東に天台宗の名刹・石塔寺(いしどうじ)があります。ここは聖徳太子が建立したと云われ、アショーカ王に由来する巨大な石塔(石の堂)、夥しい数の五輪塔があり、五木寛之が「百寺巡礼」にも書いています。

書籍やHPから竹林坊如成との関連を示すものは見つかりませんが、伝書に石堂寺の住職とあり、姓と寺名の読み、五輪塔などから竹林坊の寺であろうと想像できます。

インターネットで石堂寺を検索すると千葉県安房郡に天台宗の古刹が出てきます。竹林坊との関連はありませんが、古くは石塔寺(いしどうじ)という名前で、近江から来た僧侶が建てたとありますので、どこかで繋がっているのかも知れません。

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