home >  弓道四方山話 > 巻の九 「紫部の巻」

9-13 弓道の無常

すでに重複して書いていますが、弓道ではなかなか思うようにならないことが多いです。

例えば、正射必中を目指して相当に良い感じで行っているのに、明らかに全く駄目な初心者の射に負けてしまうことがしばしばあります。五重十文字の何たるかも判っていないものに対して、「こうすべきですよ」と指導するどころか、全く価値観が示せなくなってしまいます。

若い頃は100発100中の達人でも、年を取ると弱い弓も引けなくなり、的に届かないようになってしまいます。これはもちろん年齢による体力の衰えのせいもありますが、それだけではなく弓道のとらえどころのなさ、無常さにも原因があるのではないかと思います。

矢が前に飛ぶからといって、押手ばかり強くしようと考える時、かえって押手は効かず、逆に押手を止めたまま馬手で離す初心者のほうが真っ直ぐに飛んでいます。射法訓の「弓手三分の二、馬手三分の一」の教えは何なのかという疑問にぶち当たります。

押手を効かそうとすると効かず、左肩を働かせようとして力を入れると効かず、押手で強く離す時、振込みになってこれも効かないのです。強く鋭く握っても、離れの瞬間に握りこんでしまうと返って弓の返りを止めて前矢が出てしまいます。

弓道は天邪鬼(あまのじゃく)であり、一所懸命に努力しているものにはさらに高い宿題を課して、なかなか許してくれません。むしろ、適当にやっていれば、適当に返ってくるのです。

「柱にくくりつけた綱を、強く引けば強く応え、弱く引けば弱く応える」のも同じことです。

物理学には「作用・反作用の法則」というのがあります。すなわち左右に力が働いている時、それが動かなくて静止していれば、釣り合っていることになるのです。従って押手を強くしたいとして一心に押してみても、馬手以上には強くならない。逆にバランスを崩してまで押手を強く動かすのは論外です。

先ほどの柱のように、「押手は強く力を受けても負けないような容量を持たせることが大事であり、積極的に押しかけるものではない」と言うことです。

「如何ほども 剛(つよき)を好め 押す力 引くに心の あると思えよ」という教歌があります。

これは何処までも強い押手を良いと認めながら、それに釣り合う馬手はもっと強いので、引く心に釣り合いの加減があってバランスが取れていなければならないと云っているとも受け取れます。

押手の極意は「嗚呼立ったり(ああたったり)」の手の内です。

これは赤ちゃんが初めて物に掴まって立ち上がる時の握り方を、至極素直で柔らかく強い押手の極意としたものです。以前に「赤ちゃんが弓を引けるわけじゃなし」と評しました。

戦国から江戸時代の強弓(30〜40キロ)を引いた達人たちが求めた究極の手の内が、この赤ちゃんの柔らかい手の内なのです。負けまいとして強く押すのではなく、しがまないで、馬手と喧嘩しないで柔らかく包み込むのです。

これはそう簡単にできそうにもありませんが、中央にバランスをとって、できるだけ柔らかく、素直に真っ直ぐに伸ばしてゆくとき、若い頃のような激しいものではないが、かえって柔らかくも鋭い味がよみがえるものです。

現代では大離れ一辺倒でありますが、昔は射の種類によって使い分けられていました。

兜を射抜く射の場合には、胸から割れて一瞬に切るような小離れ(切の離れ)であり、近的では確実さを優先して両肩と両手が割れて開く中離れ(契る離れ)と呼ばれきちんとした四部の離れです。また120mの堂射では矢を伸び伸びと送るために、両肩から両腕がさっと別れる大離れ(別の離れ)でした。さらに飛距離だけを競う繰り矢ではさっと払う大離れ(払の離れ)が伝書に書かれています。

しかし、年齢の影響で小離れとなるのは好ましくありません。初心者のようにやたらと不自然に大離れでは味がありませんが、気力と体力が萎縮して小さくなった小離れは冴えがありません。自分では鋭さを追求したつもりですが、締まった離れではなく縮んだ離れ、さらに悪い場合には緩んだ結果です。

また、無闇に大離れを追求すると、両肘が止まったまま両手先で開く離れ(十字架離れと書きました)となり、これは前離れともいいます。馬手の肘を止めてコンパスのように右手を丸く開くのは緩み離れの一種です。これが癖になると全く駄目になりますので、軽症のうちに治しましょう。

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