home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-23 仏教の聖なる山

仏教における聖なる山は須弥山と呼ばれ、世界の中心に聳える伝説の山であり、蓬莱山とも云われます。

私はこれまで須弥山は伝説的な高さからエベレスト山(8,844m)のことと思っていました。チベット(中国)名はチョモランマ、ネパール名ではサガルマータです。しかし、これがチベット高原の西端(ネパールの西端の北側)にある聖地カイラス山(6,656m)のことであると最近知りました。

チベット仏教のリンポチェ師を調べていたら、カイラス山はチベット語でカン・リンポチェと呼ばれることが判りました。カンというのが山の意味とすれば、リンポチェ山というのでしょう。また、リンポチェ師というのはこの聖山で五体投地して巡礼、修行をして悟りを開いた聖人に与えられる称号では無かろうかと想像します。日本なら吉野熊野の荒業(千日回峰)によって阿闍梨と呼ばれるように。

カイラスというのはインドの呼び名で、シバ神のリンガ(男根)を象徴する釣鐘状の独立峰でチベット仏教、ヒンズー教、ボン教、ジャイナ教の聖地です。

現代では測量技術によって、エベレスト山などヒマラヤ山脈のほうが高いことが明白ですが、紀元前の頃のインドから行けば、聖なるガンジス川の上流カリガンダキ川を遡り、8.000m級のダウラギリ山やアンナプルナ山のヒマラヤ山脈を抜けて、さらに奥にある双子の湖に映えて聳える独立峰のほうが高く、偉大に見えたのかもしれません。

雲の上で瞑想する曼荼羅の世界は空想の世界ではなく、実在の世界なのでした。

日本ではその大きさが判らないので、京都の禅寺では蓬莱山と池を配置した箱庭を作って瞑想したり鑑賞したりしています。池は山麓にある双子の湖(マナサロワール、ラクシャスタール)を模したものでしょうか。

地理的にはチベットの中心であるラッサ市から1,200km程西にあります。カイラス山の西側の水はカラコルム山脈を通ってインダス河となって、インドの西でパキスタンからアラビア海に流れます。カイラス山の東側の水は湖を経てヤルツァンボ川となって延々と1,600kmも東進し、大峡谷を形成してブータンの東方ミャンマー国境近くから南下して、ブラーマプートラ川になってインドに下り今度は600kmも西進してバングラディシュでガンジス川と合流します。

すなわち、ヒマラヤ山脈の南側の水は全てガンジスに注ぎ、北側の水は全てブラーマプートラ川に注ぎ、合流して全てが母なるガンジス川となりベンガル湾に流れます。

コメント

この記事へのコメントはこちらのフォームから送信してください

記事カテゴリ
最近のコメント
recommend
小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

著者プロフィール
過去の記事
others
東海弓道倶楽部