1-22 「中学集」という書物
この書物の題名についての説明はありませんが、私の個人的な解釈では「的中を学ぶ要領集」というような趣旨でつけたものと思われます。その意味では俗っぽい題名ですが、真の的中を求めるためには目先の中りを追うのではなく、曲尺(基本原則)を守ること、息合いや気を収めることが必須であると記しており、なかなか味わいのある書物です。
現代弓道では、一方で精神性こそ最も崇高であり、的中を追い求める事は卑しいことと軽蔑される面がありますが、実際には競技会の成績においても審査においても的中が伴わなくては評価に至らず、人に感銘を与えることも、まして自己自身で満足することはできません。もともと弓道は「中・貫・飛」という目標を如何に自然なように達成するかにあり、現代では貫・飛はありませんので、真面目に的中を学ぶというのは素直に目的を求めるという点では正直なことであると思います。
ではこの本を読めば的中の要領が判って容易に的中が向上するかと云えば、否です。この本に書いている的中のための原則(曲尺)と言うのは、現代の弓道教本に書いているのと同じで、射法・射技の基本、心気の働き、総体の均衡などであり、これはそう容易く達成できないからです。
私の手元には2冊の「中学集」があり、若干記述は異なりますが、ここでは本多流生弓会が出版した「尾州竹林派弓術書」に纏められたものを中心に記述します。
竹林坊如成が書いた本文は極めて簡潔で味わいの深いものですが、解釈が難しいので理解し易くするために一字下がりで石堂竹林貞次が註釈を加え、さらに二字下がりで瓦林與次右衛門が註釈を書き加えて伝えられたものです。巻末に竹林坊如成から貞次へ、貞次が瓦林に与えたこと、瓦林が註釈を書き加えたいきさつが記述されています。
この書物は始めに目録(目次)があり、内容が頭だしで一覧できる構成になっています。構成は13か条で、さらに各条に小目録(細目)があり、計40余か条について射法の要点を記述しています。
四巻の書には格調高い序文があり、修行にあたっての誓約、修学の心得、印可などについて記述した後に、本論では射法七道、弓道教歌、心気の働き、五輪砕き、奥義について、修行の段階に応じて総合的に記述しているので、弓道における経典、規範、あるいは弓道教本のような教科書といえるものです。
これに対して中学集は上述のように序論はなく、射法の要点について短刀直入的に箇条書きで記述しています。これは四巻の書を補足するために記述されたもので、射術の全てを網羅するものではありませんが、その説くところは微に入り細を穿ち、射術の堂奥を窮めんとするものです。すなわち基本的な知識を有する者に対して、その要点を覚えやすく取り纏めた受験勉強の参考書のようなものと考えられます。
昔の弟子たちは中学集の一か条ごとに暗唱させられていたかもしれません。
以下に「中学集」の冒頭の第一条の一部を紹介します。ここで、先頭からの文章が如成の原文であり、一字下がり(■)の文が貞次の註釈、二字下がり(■■)の文が瓦林の註釈となっています。
目録
第一 総十文字のこと(尾州竹林星野派の伝書では:七道の曲尺の事)
一 足踏み 二 胴造り 三 弓矢 四 弓構え 五 手裏(てのうち) 六 打起し 七 付けの曲尺
本文
第一
総十文字のこと(七道の曲尺のこと)は、五重十文字より始めて万事の曲尺なり。
■五重十文字とは、弓と矢と、懸けの親指と弦と、弓と手の内と、胴の骨と肩の骨と、首の骨と矢との五つの十文字であり、いずれも直角(曲尺)の十文字である。
■■本文のとおり
諸業に肝要なりといえども
■諸業とは繰矢(遠矢)、指矢(堂射)、抜矢(射貫き)、中りのことである。
■■繰矢(的なしで遠くに飛ばす)は四町七、八反は飛ぶものである、弓は七分半位で、矢は四匁位が良し、嚢中の釣合い良し、根筈の方を細くして、羽の長さを三寸5分位から一寸四分程度まで切り詰めてもよし。(中略:指矢、抜矢の記述あり)
ことに中りは曲尺に違うては叶わざるによって
■中り(的中)はことさらに曲尺を用いるということは、各条に記すように、総体(心身弓)の均衡をはかって全ての曲尺にしたがうとき的に中るのである。
■■本文のとおり
足踏みの曲尺より専ら用いるものとす。
■目当て物(的)と左親指の頭と右親指の爪根との三つの曲尺なり
■■足踏みは的と左足親指の後角と右足親指の前角の爪との三点を結ぶように、大工が墨糸を引いて陸(真っ直ぐ)にするように踏むのを墨指の曲尺という。
されば目あてに(的から)糸(墨糸)を引いて
■大前に立つのと、中に立つのと、落ちに立つのでは、直に対して歪みが生じて目当てに相違があるので、的から自分の立つ所に墨糸を引くような気持ちで、足踏みの曲尺を定めること。
■■足の曲尺は的と左右の親指を定めることであり墨縄ともいう。
(中略)
足先ときびす(かかと)の開きすぼまりを教えに違いなきよう定める
■爪先ときびすの格好を教えに従うとは、扇を五、六間ほど開き、その地紙の格好に(60度に開いた扇の紙の両側の部分に)重ねよということである。
■■本文のとおり
胴造りの曲尺は足二つの真中に教えのごとく直に立ちて
■教えの如くと云うのは、懸からず、退かず、反らず、屈まずということである。懸かれば弓手へ寄り、退けば馬手に寄り、屈みすぎれば足先に寄り、立ち過ぎたる(反る)もかかとに寄り、曲尺に合わないものである。このように真中に居る(中胴)というのも一つの曲尺である。
■■本文のとおり
妻肩と上肩を地縄に重ねよ
■妻肩というのは左右の腰骨をいい、上肩というのは通常の両肩のこと、地縄というのは足踏みの曲尺のことをいう。上中下の三つの筋が違わないように重ねることであり、これを三重の重ねとも、三重十文字ともいう。
(以下省略)
その第一条の冒頭が「七道の曲尺(総十文字)の事は、五重十文字より始めて万事の曲尺なり。」という書き出しで始まっています。これぞまさしく、弓道の基本中の基本であり、短いながら味わいの深い文章です。「弓道教本」でも射法八節と基本体形については肝心要の要点といえるでしょう。
櫻井 孝 | 2007/01/22 月 20:08 | comments (0)
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