1-24 「四巻の書」序文 円覚経について
原本ではなく、「故魚住文衛先生の講義」は丁寧に解説されているので、ゆっくり読めばその面白さに引き込まれるはずと思います。しかし、その序文は「円覚経」と呼ばれる経文で始まり、解釈が難しいので入り難いのかも知れません。そこで、この現代風解釈をしてみたいと思います。
當願衆生、百八煩悩、無量之重罪、即時消滅、我是誰是、諸未生以前、本来之面目、一円之内、アバウン(梵字)也、以大円覚、仏弟子、為我伽藍、即是寿養、信心安居、常在於其中、教行若座臥、平等証智。
弓射の修行を願う人々は、百八の煩悩(数え切れない悩み)、計り知れない重罪(悪癖)を直ちに消し去って澄みやかな気持ちにならなければならない。
我は誰なのか、生前は何か誰も知るものは居ない。唯アバウン(胎内仏:梵字)として生を受けて、人となったものである。(これは輪廻の世界である)
大円の覚をもって仏弟子たりとは、天地到る処に余念なく、弓に丸くはまる心なり。大日如来である佛(仏と云う字は弓と2本の矢を持った人と書く)の弟子となり先生の教えを信じ、伽藍(道場)を住家として修行に励めば、座して臥すが如く安泰で、身を養う元である(例えば、日常生活で寝起きするように、安らかで健やかに精進できるもとである)。このために、師匠の教えを守り、本心をもって修行することを誓うものである。
櫻井 孝 | 2011/01/18 火 19:30 | comments (0)
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