home >  弓道四方山話 > 巻の壱 「天の巻」

1-21 心の騒静は七情を去って寝々子法師に至れ

寝々子法師の話は、天の巻1-18に書きましたが、弓道には激情が妨げになることが、中学集という竹林流の伝書にありましたので、現代風に書いてみます。

心の騒静(そうせい)とは騒ぐと静かなるとの道理であり、何事も静かでないと達成できないものである。弓道において何事もというのは、射形、的中、堂射、射貫き、遠矢(現代では行われないものもある)などであるが、とくに的中は弓の神であり、魂であり、弓の本地(本質)とも云うべきであり、騒がしくては叶わぬものである。身骨気心(心身)ともに静かでない状態では尋常の的中は得られないものである。

七情は七障とも云い、喜怒憂思悲恐驚のことである。これは喜怒哀楽、恐れ驚き、心に動揺、激情があるなど、心の騒がしきことの原因である。この七情に煩う間は目当ても定まらず(集中できず)、心せく(急ぐ)ものという意味である。

寝々子法師(ねんねこぼうし)とは弓を心静かに収めることを云うもので、まず心から静まらぬようでは、弓など納まるはずがないという道理である。

身骨の騒ぎは八方詰め(五部の詰めと三重十文字の重ね)の惣搦(そうがらみ)を肝要にして静かなることを専らにせよという意味である。

ここで天の巻の冒頭で述べた、「我は大日如来なりと思うべし」を思い出してください。自分が大日如来であれば天地の中央であり、如何なる儀式においても何も恐れるものなく、心をゆるりと筋骨も伸びやかに、心を臍下丹田に収め、七情を離れることができるものです。

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