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伝書や書籍を読むということ

日本武道全集の稿で紹介した射方全書は含蓄たっぷりで読み応えがありますが、秘伝の術が書かれているわけではありません。一般に誤解されやすいのですが、伝書は忍者が口にくわえている巻物のように、それを手にすればインスタントに秘術が使えるようになるようなものではないのです。

むしろ、ある程度のレベルに達した射手が読んで初めてその真意を理解できるような書き方がされています。従って読み手によっては、伝書の示すところを誤解して、かえって修行の妨げになることもあります。

小笠原流では手取り足取り教えることはしません。「質問がなければ教えない」「尋ねられてから初めて答える」という教え方をします。修行がある段階に達すると、稽古する本人が自然に「こうすれば良いのではないだろうか」という境地に至ります。それを師に尋ねて確認するというやり方です。

立命館大学体育会弓道部元監督三原平一郎氏は、小笠原流への入門当時のことを以下のように述懐しておられます。

大学を出て五段練士の時、跡部定治郎範士より京都帝国大学の弓道部の世話をする様に命ぜられましたが、自分は人に弓を指導するだけの自信がなく、やむをえず跡部先生の了解を得て小笠原清道先生に入門したのですが、月に一回跡部先生の道場に、週に一度は小笠原教場に通いましたが、小笠原先生は何一つ教えられない。

唯二十射射ってそれを記録して帰るだけでしたので、困り、本を読んでは私の方から質問することにして質問すると、本を読んできましたね、その質問は今君が行射した結果の質問とは異ふ本を読んだな、と申された。本を書く先生がその通り行射しておれば良いが、本を書く技術と実射となかなか一致したのが少い。質問は君の実射から出せとさとされました。

其后は本を読まず実射から質問をいだく事について質問する事に致しました。今から思ふと射は実芸であるので、読む者の技と心の境地によって誤りとられる事が多分にあります。修業の足らざる私に誤った解決をする事を恐れられた為であとうと思います。

結局、事理一致の修行程度に応じて許される可きものでありまして、理に走る事が修行の妨げとなる。唯学問を覚え知るだけでは危険であり、自分のものとして行いに移して考へた時に活きた解決ができます。
http://rukyudo.cup.com/goroku.html#「弓道と私」

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