home >  弓道四方山話 > 巻の拾壱 「流水の巻」

11-11 竹林坊如成の終焉のなぞ

竹林坊如成は「一遍の射(四巻の書の原本)」を著し、尾張松平忠吉卿に奉仕して多くの門弟を育成し日置流竹林派と呼ばれました。次男の貞次が弓の名手になって家督と竹林流の印可を唯一伝授した後は隠居しました。そして再び出家して何処へか消息を絶ち、石堂家にも門弟にも連絡無く何時何処でなくなったか不明という謎の多い人物でした。

尾州竹林流星野派第11代道統の故富田常正先生のライフワークである「尾州竹林流四巻の書註解」の付録「竹林流正統系譜」、および「尾張国竹林流繁盛記」の記述には

石堂家譜に曰く、石堂竹林坊如成は江州石堂村の産、北村某の子なり、末男なるにより幼年より山(比叡山)に登り(出家)し竹林坊に住す。山徒(山伏)もとより武芸を好み、かつその身士流なるにより(郷士の出)射芸を好み、その術に達す。たまたま浪人(安松なるべしとあるが、弓削であろう)来たりて僧徒(僧兵、山伏)を集め、射芸を教ゆことあり、如成もっとも器用たるにより、程なく奥義を極め印可を得たり。(略)ますます射芸をもって名を得たり。したがって学ぶもの日々多し。かつまた手跡(書道)を能くし蹴鞠に達す(名人のことか)。天正の末年(1592年)病みて卒す。

とあります。さらに註には

如成のことについてはこれで終わっている。如成が尾州の地に来たことには何の記事もない。しかも没年も終焉の土地も知ることができない。石堂家譜の最終の頁に小泉善九郎(尾州の家臣御弓役四代目の士で文化年中に没す)の調査報告のようなものが加筆されている。

とあります。

北村竹林坊如成 法名は左のとおり。元和二年丙辰年(1616年)十月十七日卒。弓照院大日師と号す。墓所不明。右のとおり相見え申し候あいだ伝えて申し上げ候 小泉善九郎  岡部七郎殿

富田先生は「如成の法名没年はこの記事以外に見たことがないから、直に信ずることはできないが、一応新しい発見として取り上げておく外はない。」と述べています。

また、富田先生の同繁盛記には、荒川良清氏の「竹林流覚書」からの引用として、竹林坊の出生、出家、弓の修行、還俗などのあとに、尾州の清洲にきて、弟子の安倍勘兵衛を通じて尾州松平忠吉侯に言上され、息子の林左衛門(貞次)を伴って250石、弓役を賜る事情を伝えています。

(中略)その後、竹林坊のことは比叡山に立ち帰りたるとも云い、伏見へ行きて病死とも云う。その終わる所は不分明なり。

とあります。

これまで尾州側の多くの資料からは竹林坊のその後の消息は不明でしたが、インターネットによって竹林院のホームページから偶然に竹林坊の消息を見つけたことは、流派マニアにとって大発見でした。

竹林院への礼状
▲吉見順正外孫から竹林院への礼状

これについては、すでにこの巻の「11-8 吉野山雪中弓道合宿」において、竹林坊の終焉の地が吉野山の金峯山寺の竹林院(修験宗本山)であり、その23代の尊祐院主が竹林坊であるという記事を書きました。ここで、竹林坊が吉野山の竹林院にいたという証明が、皮肉にも紀州竹林流の吉見台右衛門(順正)の外孫である須藤○左衛門が明和七年(1770年)に竹林院を訪れて、流祖如成の遺品、霊弓に接して感激した礼状からでした。

竹林坊が何故家族を捨てて再び出家したのかは不明ですが、自己の確立した弓道には執心したけれども、多くの門弟も育て、尾州家の弓奉行としての家督と弓道の印可を譲った後にはそれ以上の欲はなく、定年を迎えたサラリーマンが田園生活に回帰するように、修験者として再び修行の道に戻ったのではなかろうかと想像できます。

吉野山は和歌山市の東方30キロ程度、紀ノ川の上流が吉野川(奈良県)であり、紀州には近いので紀州竹林には消息が伝わったのではないかと思われます。

竹林坊の宗派については比叡山の天台宗(密教)であり、不動明王や大日如来の信仰でした。吉野山金峯山寺は「役の行者」が開祖の修験道(山伏)の総本山で、南朝の本拠地がありました。場所は高野山の東隣でありますが、宗派的には天台宗と関連しています。

仏教では本来不殺生であるのに、その師がこの時代に人を殺める武道を極めるのには不釣合いと思われますが、いわゆる巷の仏教ではなく、修験道の山伏であれば武道はふさわしいのかも知れません。大日如来を信仰し、不動明王を唱え、山上ケ岳(奥の院海抜2000m)への奥駆け修行と千日回峰の荒行によって、武道のさらなる奥義を追求したのかも知れません。

近年この地は世界遺産に登録された日本屈指の大自然ですが、私は行ったことはありません。

コメント

この記事へのコメントはこちらのフォームから送信してください

記事カテゴリ
最近のコメント
recommend
小笠原流 流鏑馬

小笠原流 流鏑馬 | 小笠原流が各地の神社で奉仕する流鏑馬を網羅した写真集。各地それぞれの行事の特徴や装束が美しい写真で解説される。観覧者が通常見ることのない稽古の様子や小笠原流の歴史についても書かれており読み物としても興味深い。数百年の時を経て継承されてきた古流の現在を記録し後世に残すという意味で資料としての価値は高い。

小笠原流弓と礼のこころ

小笠原流弓と礼のこころ | 小笠原流宗家(弓馬術礼法小笠原教場三十一世小笠原清忠)著。一子相伝800年の小笠原流の歴史や稽古法などについては40年程前に先代宗家の著した書があるが、本書では加えて武家社会終焉以来の「家業を生業とせず」という家訓を守ること、そしてこの平成の世で礼法のみならず弓馬術の流儀を守ることへの矜恃が綴られる。

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本

弓の道 正法流入門―武道としての弓道技術教本 | のうあん先生こと正法流吉田能安先生の教えを門人達が記録した書籍。のうあん先生は古流出身ではないが、古流を深く研究した上で現代正面射法を極めた人といえる。射法についての解説はもちろんのこと、伝説の兜射貫きや裏芸といわれる管矢についての記述も読み応えがある。

著者プロフィール
過去の記事
others
東海弓道倶楽部