10-9 朝嵐、晴嵐の嵐とは、すさまじきとは
「朝嵐 身にはしむなり 松風の 眼には見えねど 音の涼(すさま)しき」の歌は、「達人の射は ごく自然にみえるが、松林の中を清清しい朝風が身にしみるように、凛として爽やかに響き渡るものだ」と解釈すると、激しい嵐では判りにくいです。
また、「老木 晴嵐 紅葉 散り満ちて 冷(すさま)し」の歌は、「達人の射は、夏に一杯に茂っていた楓の老木が、涼しい秋風に紅葉がさっと散っても、梢は微動だにしないようにみえる」このように解釈すると、これも嵐のような激しい風では似合いません。
「弓道小事典」を調べていたら、朝嵐は「朝の微風である」とありましたので、納得できました。
また、「涼しき」と書いて「すさまじき」と読んで、「すさまじく強い離れ」と解釈しているようですが、私には単に「涼やかに、清清しい」のほうがしっくりとします。 「弓道小事典」には同じ竹林流の歌で最後が「−−音のさやけさ」となっているのを見つけました。 この方がよく判ります。
何れにしても、伝書というのは代々多くの人が書き写して伝えられるので、少しずつ違って伝わってしまっているのも事実です。
櫻井 孝 | 2003/02/17 月 00:00 | comments (0)
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