home >  弓道四方山話 > 巻の八 「石火の巻」

8-15 的付けは明確である

「的付けにおけるあいまい性」という弓道の論文をよみました。論文は幾何学的にアプローチし、実験まで行って、理科系的手法で説明しているのですが、自分の考えと一寸違う方向に展開されているので、自分の意見を述べてみます。

私は的付けというものは「あいまい」ではなく「単純で明快」であると考えています。この論文で「あいまい」といっているのは、「的付けは半月が正しいとする場合にたいしてそれぞれ差がある」ということを書いているようですが、私は「的付けにはもともと個人差があり、半月は平均的、標準的なもの」であると考えていますので、差があって当然といえます。

この論文では、「『的付け』は右目に映った弓の影に対して、左目でみた的の影がどこに位置するかによって照準を定めることであると定義する」と書いています。

もちろんこれは正しいのですが、もともと両目で的に焦点を合わせて見ているので、左目でみた的と右目で見た的はまったく同じことになります。したがって、右目だけで的に焦点を当てて見るとき、弓の陰がどこに位置するかだけを考えれば同じであり、左目を閉じて狙っても同じです。こう考えると現象は単純となります。

中段のところにも「左目は的、右目は弓と別々の物を見ていることになる」と書かれているが、誰もロンドンとパリを一緒に見るような芸当はできません。焦点を合わせているのは常に的であるので、弓を見ることはないはずです。

左目は的に焦点をあてているだけで弓から離れているので、両眼で見たとき右目でみた弓の陰を透かす役目だけです。したがって、的付けが闇夜になって隠れるときも弓が透けて的が見えるのが左目の役目です。

この両目の目線と的と弓の関係を図で説明されているのはまったく正しいのですが、私はこの図に矢が的に向かう線を加えて考えています。簡単にするには上で述べたように、左目は関係しないので、右目の線と矢の線の2本の線が弓を挟んで非常に細長い二等辺三角形となります。

このとき、上から見た頬付け(口割り)の位置から右目の目玉(目頭)までの距離は約3cmくらいとなり、弓の幅とおよそ一致するので、半月となるのです。同様に左目(目じり)と頬付けまでの距離は8cm位と大きいので、左目の目線は弓の左を通り抜けます。それで、左目に映る弓の影は右目に映る弓の影の右側にさらに外れて見えるので、的付けには関係しないのです。

的付けが変化する要因についてこの論文は触れていませんが、むしろこの点を説明するのが肝心であると私は考えます。

1. 物見の浅い人の的付けは闇夜(的が弓に隠れるとき矢が的心に向く)になる。
逆に深すぎると満月(的が弓から全部出るときに矢が的心に向く)になります。しかし、これらの射手は的付けをその位置にするべきではなく、正しい物見を身に付けることが肝心です。"物見を動かしてみると弓と的の関係が変化する"ことは自分で確認できるので、試して覚えるべし。物見をいっぱいまで向ければ殆どの射手の的付けは半月に近くなるはずです。

2. 顔の広い人の的付けは、的が離れて満月になり、逆に細い人は闇夜となる。
これは骨格のせいなので、的付けをそれに合わせる必要があります。

3. 手幅の広い弓、あるいは太い籐を巻いた場合には闇夜になり、逆に細すぎる弓では満月となる。


4. 遠的の場合には近的よりも四分の一くらい的が弓から出てくる(満月に近くなる)、逆に巻きわらの場合には闇夜となる。
的の遠近による影響は、上記の頬付けから右目までの距離に対して、的から目までの距離(近的では28.0m、遠的では60m、巻きわらでは1.5m)と的から弓までの距離(50cm程度差し引いた距離)との比例計算となるので、弓の陰との幅が変化します。

以上のように、まずは胴造りの三重十文字、物見を正しくして十分に向けた会の射形を作ることが先決です。その上で先生に矢筋後方から矢が的心に向かう所を見て教えて頂き、そのとき的が矢摺り籐を透かして映るところを記憶することが必要です。

矢が前に飛ぶから後ろに的付けをして(闇夜にする)中てようとするのは正直なことではありません。このようにすると必ず押手が弱くなり、ますます前に矢が飛び、押手を打ち、顔を打ち、眼鏡まで飛ばすようになります。矢は絶えず的心に向かうように気を配り、前に飛べば押手が弱いためであることが自分で判るので、押手の働きを工夫するのが弓道の修行であり、上達の近道なのです。

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