home >  弓道四方山話 > 巻の拾壱 「流水の巻」

11-16 竹林流の羽引き

印西派を始め日置流各派(吉田流)では取り懸けしたのち、押手を矢束の半分程度押し開いて手の内を整え、さらに左に送って引き開かずに(そのまま)斜面に打ち起して中力をとるので、「羽引き」の状態は殆どないと思われる。

これに対して竹林流(日置流竹林派ともいう)では取り懸けして、押手は押し開かずに手の内を整え、「羽引き」のまま左に送って斜面に「弓懐」をとる。

この時、両肩を捻らず、矢先はなるべく体に平行のままとし、弓手・馬手は両肘を撓ませたまま円相に構え、「羽引き」以上には引き込まないのが竹林の掟である。

さらに「打ち起こし」において、弓手を三分の二で押し広げ、馬手は三分の一に引き広げながら中力をとるのが竹林の射法である。これから「大三」と呼ばれるようになった。

竹林流は伝書において、日置流にはもともと二流があって、教えが異なっていると記述しているが、最近の情報から竹林坊は日置・吉田流祖の吉田重賢の弟子であったと考えられる。それは竹林の旧宅須恵(須恵器発見された地)が川守城の直近であったこと、石堂寺(石塔寺)の住職をしていたが吉田家の祈願僧であったという記述から推察できる。

しからば、なぜ伝承の違いを伝書に記述し、射法の違いをことさらに強調して掟としたのかは謎であるが、射法の考え方の違いによって吉田流とは袂を別れて、あるいは追放されて、諸国に修行行脚して尾張の国に赴き、松平定吉公に仕えたとの記述もある。

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