home >  弓道四方山話 > 巻の八 「石火の巻」

8-20 膠着状態のしがらみ

引き分けから会に至り、じっくり詰め合い、伸び合い、鋭く軽妙な離れを出したいと思っているのですが、実際には会で膠着状態に陥り、緩み・もたれになり、モタモタしているうちにずるっと放れ、不本意な結果となってしまうことがあります。

膠着状態とは接着剤の膠が熱いうちは柔軟でも、冷めてくると飴のように固まり身動きできなくなることを言い、しがらみとは弓手の角見を効かせようとして弓にしがみつき、妻手も捻って弦に絡みつくイメージを云います。これらからの脱却は、体・技・心のあらゆる要素が絡むので容易ではありませんが、少し前向きに分析してみたいと思います。

1)体のこと

膠着状態の原因として、「力みが入り過ぎている」ことがまず挙げられます。体の筋肉には主動筋と拮抗筋があり、動いているときは主動筋が主に働きますが、保つときは拮抗筋が対抗して釣り合って止まります。引き分けでは両腕の裏側の上腕三頭筋が主動筋として働きますが、会の詰め合いで固めると表側の上腕2頭筋(力瘤)が拮抗筋として働いて硬くなり、膠着状態に陥る恐れがあります。

したがって、詰め合いで固定させようとするのではなく、あくまで引き分けの延長線上のままと考え、動きを至極緩やかにし、開く力を弓の力と釣り合わせるようにすれば、拮抗筋の働きを抑えることができるのではないかと思います。

またこの問題には加齢の影響も大きいです。若い頃は筋肉が柔軟で強靭なため伸び伸びとできたことが、年を重ねると筋肉が硬直し縮み込んでしまいます。

五十肩、六十肩、関節痛にでもなると、頭で判っていても、技もあったはずなのに、全く思うようにはなりません。これに末梢神経が絡むと、震えという自励不随意振動が生じて収まらなくなることがあります。

これらについては時間を掛けて軽くリハビリを行いながら体調の回復を待つしかなく、残念ながら弓を弱くして楽に引けるようにするしかありません。

2)技のこと

会の収まりの要件として詰め合い、伸び合いが肝心であることは誰でも知っています。詰め合いとは引き分けて、自分の矢束まで引き収めるとき、両肘(腕)、両肩が定まり、胸弦が付き、口割り(頬付け)に納まり、狙いも定まる状態であり、さらに両肘、両肩の関節の隙間と胸の中筋を極めるのが五部(5箇所)の詰めであり、これに三重十文字を重ねて八方詰めと呼ばれます。

詰めという言葉は日本の伝統建築や鳥居などにおいて梁と柱のほぞの隙間を埋める楔のイメージに喩えられています。しかし、この詰め楔はよく締まるので締まりすぎるとガチガチに固まって膠着状態に陥る恐れがあります。

この固まった詰めを開放して離れに繋げるには伸び合いが必須であり、これも楔のイメージに喩えられます。これは巨石を割るときの割り楔であり、胸の中央に割り楔を打ち込み、火花が飛ぶように(鉄石相克:電光石火)鋭く弾けて、両肘、両肩が同時に割れて開き、四部(4箇所)の離れと云われます。この伸び合いは上述のように力に任せて行うものではなく、柔らかく軽やかに伸びるのでなければ出ないものです。

詰め合い、伸び合いをじっくりやろうとすると会の持満も深くなりますが、反面勢いが衰え固まってきて伸びが出なくなってしまうので、むやみに保とうと考えるのではなく、力みなく穏やかで余裕がなければ叶いません。

ここで詰め合いの後に伸び合いを行うのが教義ですが、そうすると上記のように難しいので、私の個人的な意見として、引き分けの延長線上のまま詰め合いながら伸び合いを同時に行って、離れに繋げるように考えています。

3)心のこと

達人でもないのに精神的なことを書くのは僭越すぎておこがましいですが、気の持ち方も膠着状態に影響します。

会・離れとは竹林坊如成が仏教用語の「会者定離」、すなわち会うものは定めて離れるという道理を用いたものですが、その別れ方には問題があります。締まって伸びやかに離れるのは「生きた離れ」ですが、膠着してしがみつき、緩んで離れるのを「死に別れ」とも云います。

小さく収め、小さく離すような消極的な行射(年寄りの射)も、開く働きが弱くなり、肩関節において腕の骨と肩の骨がもたれあって窮屈になり、膠着状態となる恐れがあります。積極的で伸びやかな気持ちで行射することが肝心です。しかし、これも弓力に余裕がないと出来ません。

重い扉を両側に開くようにとか、高い山に車を押し上げるようにとも言います。また引き分けるときの力の曲線は常に緩やかに増加する漸近線をイメージして、決してピークを超えて下ることのないように気持ちを保つイメージが大事と思います。

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