home >  弓道四方山話 > 巻の八 「石火の巻」

8-19 着己着界に入る

「着己着界」(ちゃこちゃっかい)という難解な言葉が「中学集」という伝書の最後にあります。これは題目だけで解説されていませんので、例によって独断と偏見と想像をたくましくして書いてみたいと思います。

私はこの弓道四方山話で達人のようなことを書いていますが、実際にはいつも不本意な状態で、山の中腹をさ迷うばかりでなかなか頂上にはたどり着けません。そんなことから「着己着界」の言葉は知っていても、そのような奥義を綴ることはおこがましくてできませんでした。ところが先日の遠的大会において、ほんの僅かながら似たイメージを抱くことができましたので、不埒にも書いて見ようと思います。

「着己着界」とは熟練者が鍛錬を積み重ね、三体を育て、正技を練り上げ、目当てを「一分三界」の境地で絞り込み、心穏やかに澄みわたるとき、「的は己に着き、己は界に着く」と言われます。

目に見える的は一分(3mm)ほどの大きさですが、これが世界のように大きくなって、手元(弓手)に張り付き、自分と一体になって結界(ゾーン)に入るイメージです。

これは練達者が修練の上、精神が集中し、凝縮するときに感じる極意のことです。

例えば全国大会の決勝射詰めなどで、気が乗ってくると選手たちは外さなくなって決着が付かなくなることがありますが、これと似たものでしょう。

先日の遠的大会は色的(いろまと)を使った点数制で、中心から黄、赤、青、黒、白(10、9、7、5、3点)となっていました。この日、私は的前審判の補助係を依頼され、今年最高の猛暑(36度)の中の仕事でしたので、自分の弓に執着する気持ちは殆ど失せていました。

しかし、実際に的前に立ってみると、案外無欲のせいか落ち着いて行射ができました。

1本目を引き分けた時、意外に的が大きく明瞭に見え、穏やかな気持ちに納まったので、籐の2筋目に狙いを合わせ、両肩を収めて軽く離れた結果、矢は真っ直ぐに飛びましたが的の直前で数センチ下に外れました。しかしそれほど悪くないと思い、2本目は同じやり方で狙いを1筋半にして離したところ、的芯の下の青に的中しました。3本目は1筋目に合わせ、的芯のすぐ下の赤に中り、4本目は全く同じで的芯の黄色に的中し、こんなに集中できたのはまれに見る好成績でした。

このように的芯に集中できたのは偶然の結果でしかありえませんし、遠的だから的が相対的にも大きく、カラフルなために明瞭に見えただけかも知れませんが、妙に冷静で的が手元に張り付いたようなイメージがありました。

今後もこのイメージを持続させたいと思いますが、「夏の夢、幻の如くなり」で残念ながらまた元の木阿弥となってしまうのは必定でしょうが、淡々と合わせて、決められるようになりたいと願うものです。

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