【大正13年〜】広瀬実光範士との出会いと第一期黄金時代
そんな折り、当時日本陶器(現ノリタケ)社長であり名古屋弓道界のリーダーでもあった広瀬実光範士と溝水太郎君の住居が同町内(東区橦木町)にあった縁で、日本陶器の豊明倶楽部内にあった弓道場で広瀬先生に本格的な指導を受けることになり、特に熱心だった織田信一・水野勇・山中庄一・安藤政次君らにより東海中学校弓術部の基礎が出来た。
勢いのついた東海弓術部は、大正14年2月横井教士の主催による愛知武徳殿での中等学校大会で優勝し、武徳会総裁梨本宮殿下御揮毫の「奮厥武」という優勝額を拝受した。
続いて大正15年8月第八高等学校(現名古屋大学教養部)主催の第2回全国中等学校弓道大会で織田信一・後藤四四生・山中庄一・田中(富坂)喜代造・水野勇君らの活躍で優勝し、優勝弓(飾り弓)を獲得することが出来た。これは就任早々の5代目石塚校長より朝礼の場において全校生徒の前で表彰された。
一方、日本陶器をスポンサーとする近県中等学校弓道大会が豊明倶楽部で毎年春秋2回開催されていたが、大正15年秋には東海が優秀賞を受け、続いて昭和2年春には山中庄一君を先頭に田中(富坂)喜代造・榎本良平・三田(野垣)一・伊藤孝彦君らにより優勝した。
昭和3年からは5年生に安藤政次君ら6名、4年生には名射手と謳われた後藤四四生君ら3名、さらに3年生・2年生に辻守種・天野高晴・伊藤源三・水谷利雄・山田弾六・加藤敏夫君らが加わり、常に優勝若しくは2位に位し、常勝東海の第一期黄金時代を築いた。
峯 茂康 | 2003/10/01 水 00:00 | comments (2)
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コメント
コメントをお寄せ下さり有り難うございます。連綿と続く母校弓道部の伝統を改めて感じました。偉大な先輩である父上のご冥福を心よりお祈りいたします。
本文は東海学園弓道部戦後復活50年記念祝典において配布された資料を私が抜粋引用加筆して編集いたしました。資料に倣って敬称を使用しておりません。大先輩へのご無礼をお許し下さい。
小さい頃沢山のメダルで遊んだ事が 思い出されます 八十年前の若き父の片鱗が感じられ 形見の一つに思われます。