home >  弓道四方山話 > 巻の四 「父の巻」

4-27 弓手の働きについて

1.「狙いは弓手にあり、的中は離れにあり」


少し記憶が曖昧ですが、古い弓術書の言葉です。これは言葉通りの意味ですが、「狙いは弓手に映るので、これを正確に定めなければ中るはずがない、しかし安定した的中は離れにあるので、緩みやブレのない自然(軽妙)な離れを身に付けなければならない」ということです。

狙いを正確にというのは、「雪の目付」と云ってひらひら落ちてくる雪の一片を最後まで凝視する訓練をすると、大きく見えてくると云うことです。また、「一分三界」というのは、一分(3mm)という小さな寸法(矢摺り籐の一筋分に相当)を世界のように大きいものとみなし、その中の一点を見詰めるようにする訓練であり、ついには蚊の睫毛に住む微小な虫まで見えてくると云うことです。昔の射人は一寸極端ですが、それほど重視したのです。

しかし、狙いをどんなに正確にしても確実に的中するためには、自然な離れを身に付けねば得られないのです。現代では鋭い離れが推奨されるようですが、五カ所の詰め合いの後、伸び合って胸の中筋から割れて開く、四か所の離れが「四部(紫部)の離れ」です。これは弓手手の内と馬手の手の内、弓手の肩口と馬手の肩口との4カ所が同時に別れる伸びのある離れです。

軽い離れとは力を緩めて、優しく離そうとしてはいけません、そうすると緩み離れとなり、最悪の離れとなります。唯、何処までも伸びてその延長線に離れるのが良いのです。そのためには、急ぎ過ぎず、力み過ぎず、途中で引き過ぎることなく伸びて、カメラのシャッターを半押しで構えるように、フェザータッチでリリースするとき、電光石火に弾けて飛んでゆきます。

しかし、実際には自分でもなかなかできません。こんなイメージとしてできればいいなあという願望です。

註-1「狙いは弓手にあり、的中は離れにあり」の原文
この原文は尾州竹林流の五巻の書の第五巻「灌頂の巻」の終段にありました。本多流生弓会が出版した「尾州竹林派弓術書」の「本書」がそれです。
「分狙いは弓手にあり、中りは離れにあり」

「狙いは弓手にあり」と云うは、中学集の第十条、分限と云う段にあり。左(弓手)を大将と云い、狙う所の目中て(めあて:矢摺り籐の付け狙い)に差し載せて動かざるは、着己(ちゃこ:的が己に着く)の目中てに叶うべし。「中りは離れにあり」と云うは、例えばよく狙いたりといえども、離れ悪しくば、矢騒ぎて中るべからず(はずがない)。然れども、全く狙いは押手、中りは勝手と別々に思うべからず。中る所は弓手にあり、勝手にあり、左右整いたる所に中りあるべし。


註-2「本書、五巻の書」について
これは竹林坊如成(竹林流流祖)が著述した「日置一遍の射」を2代目石堂竹林貞次が五巻に分けて編纂し、註釈を加えて印可書としたものであり、本多流もこれを印可書としています。このうち一巻から四巻までが外伝として、修行の練達度に応じて与えられ、これを「四巻の書」と云います。「射法訓」の後段の「書に曰く」はこれです。第五巻は免許皆伝者にのみ与えられる内伝(秘伝)の書です。

註-3「中学集」とは
これは中学生の文集ではありません。流祖竹林坊如成が尾張藩で竹林派を確立し、天正19年に二代目の石堂竹林貞次に道統(家元)と家督を譲った後、行方も知らせず、隠遁してしまいました(正式には死去の年も場所も不明)。このとき、如成から貞次に伝えられ、代々の石堂家に伝えられた秘伝の書が「中学集」です。これは「中りを学ぶ書」という趣旨で名付けられたものと思われ、「四巻の書」に通じるものですが、簡潔に箇条書きに書かれています。これを読めば、的中が向上するかと云えば、そう簡単ではありません。この本は弓道教本のように弓道の原則的なことを簡潔に纏めたものだからです。第一条の書き出しは「七道の曲尺(惣十文字)のことは、五重十文字より始めて万事の曲尺なり」という言葉で始まっています。弓道教本でも射技の基本体型は五重十文字としています。「七道」とは現代の「射法八節」に相当し、「曲尺」はかねと読み、基準を意味します。この書き出しの言葉が、尾州系では「七道の曲尺」、紀州系では「惣十文字の曲尺」と異なっていますが、以降の内容は殆ど同じです。

2.父母の釣り合いについて


弓道では弓手と馬手が釣り合って、作用・反作用の法則が成り立っている場合に、矢が真っ直ぐに飛びます。弓手を働かせないことには、馬手も働かずに緩み離れとなります。しかし、弓手を強く角見を強くと思い過ぎるとき、握りしめ、捻り過ぎ、押し込み過ぎの悪癖が付いて、乱れるようになります。これは弓手への片思いとなるためであり、馬手への片思いもいけません。

「剛は父 懸は母 矢は子なり 片思いでは 矢は育つまい」と云います。また、「如何程も 剛きを好め 押す力 引くに心の 在ると思えよ」という歌もあります。

まず、弓手は如何程も強くすべきであるが、そのうえで馬手に釣り合いの心を付けて離れるのが良いと云います。弓手の強さは積極的に押し切る強さではなく、太い柱のように強い力には強く抵抗し、弱い力には弱く応じるものであるべきでしょう。言い換えれば、積極的に角見を効かして離れを誘うのではなく、動じない強さであると思います。「馬手との釣り合いを感じて、柔らかく使いなさい」と云うべきかも知れません。

3.手の内の指使いの解釈


四巻の書に弓手の指の名称として、五指を「定、恵、善、神、力」と書いてありましたので、現代風に解説します。

1)親指は定める指
親指は弓を確りと定める指です。掌(てのひら)の天文筋を弓の外竹の左角に沿わせ、親指を水平に伸ばして、手の内を弓に直角となし、虎口(龍口)で巻き込むように受けて、角見(親指の付け根の角)を働かせるとき手の内は定まります。

2)人差し指は恵む指
人差し指は弓を直接握りませんが、親指に協力して恵む指です。これは曲げても伸ばしても良いですが、指を少し広げる気持ちで、水平に的方向を指し示すように働かすとき、柔らかく伸びて親指に恵みをもたらします。

3)中指は善く締まる指
中指と親指で輪を作って軽く握るとき、親指と対峙して善く締まり強い押手となります。しかし、これは下の二指よりも長く強いため偏り易い欠点があります。少し引っ込めて二指に揃えるのが良いでしょう。

4)薬指は神と拝む指
薬指は中指に比べて弱いので、頑張れと神に拝む指です。これも小指に揃えて愚痴愚痴と締めるのが良いでしょう。

5)小指は力を込める指
小指は最も弱い指ながら力を込めるべき指です。弓は上長下短であるため、離れにおいて反動力が手の内に作用するので、親指と小指とで偶力を効かすとき定まります。また、短くて逃げ易い小指を止めて、貧欲に締め上げ力を込めるとき、親指と対峙して働きます。上記のように、中指、薬指、小指の三兄弟が爪を揃えて力を整えるとき、「爪揃い」といって綺麗な形の手の内ができます。

4.五つの手の内の極意


竹林坊が記した四巻の書に「五箇と云い、吾加とも云う」とあり、五種類の味があることと、吾が加える(働かす)という意味があります。「鵜の首」「鸞(卵)中」「骨法陸」「三毒」「嗚呼立ったり」の五つです。

1)「鵜の首」(うのくび)
「鵜の首 浮きたるなり」定、恵、善の三指に口伝(教え)あり。

鵜が水面に首を出しているときのように、手の内は常に弓に水平に当ててやや上押し気味にします。また、鵜匠が飲み込んだ鮎を吐かせるように、弓手の親指と人差し指(定、恵)を開き、親指と中指(善)とで輪を作り、小指を締めるようにする上開下閉の形が基本です。

註:口伝(くでん、こうでん)とは微妙な点を書き記さず、口頭で伝えるものですが、伝言ゲームのように誤って伝えられたり、途絶えて残っていない場合が多いです。口伝書と云う書もありますが、一般には秘伝のため見られません。

2)「鸞(卵)中」(らんちゅう)
「鸞中 軽し」定、神、力の三指に口伝あり。

鸞とは大鷲の雛であり、卵の意味も秘しています。大鷲は羽根幅が2.5mもある最大の鷲で北海道に渡って来ます。その美しい羽根は絶滅危惧種のため、公式には使用できません。大鳥(おおとり)とも云います。

この手の内は、大鳥が雛(卵)を柔らかくかき抱くような気持ちで握るものです。しかしそれは決して弱く握るものではなく、大鷲の手はあくまでも強くガッチリとして、卵を落とすことなく、雛を締め過ぎることなく優しく握る手の内です。よく緩々にせよと云う人がいますが、鷲のように強い手で優しく握ることが肝心です。

3)「骨法陸」(こっぽうろく)
「骨法陸」とは弓に直角な手の内、すなわち「五重十文字」の三番目。

竹林派では「中四角の手の内」と云い、一般には「三隅の手の内」とも云います。これは弓手の天文筋の上下を弓の左側の外竹に押し当て、親指の腹を下げて握り革に沿わせ、小指を近づけ、薬指、中指を詰めて揃えて整え、人差し指と中指の又(虎口)で弓に直角に押す標準的な手の内です。

4)「三毒」(さんどく)
「三毒」とは弓に直角に手の内を整えるとき、親指は「瞋恚(しんい)」に、小指は「貧欲」に、薬指は「愚痴愚痴」と働きかける手の内。

これは不動明王の怒りの親指であり、三指を揃えて貪欲に愚痴口と締めるものであり、強弓にも負けない強い手の内で「三毒強し」とも云います。

5)「嗚呼立ったり」(ああたったり)
「嗚呼立ったり」は赤ちゃんが握るような無心で素直な至極の手の内。

赤ちゃんの握る力は何気なく柔らかいながら、案外しっかりと強い自然な手の内です。幼子を持つ親がこれを見て、「ああ立った立った」と喜ぶことから名付けられました。これは簡単には会得できるものではなく、弓手を強く望み、あれこれと悩み試しつつ、長い修行の末に悟った達人が会得するものであり、「老いて再び乳飲み子に還る」とも云います。

この極意のイメージから、「弓手は強く握るな、緩々にしてそのままに働かせよ」と教える高段者は少なくないですが、中級以下の者には逆効果です。その教えの結果、勢いは衰え、握りは大きく落ちて、緩みがちになり易いので注意が必要です。赤ちゃんに弓が引ける訳もないですよね。

6)「時の手の内」とは
五箇の手の内について判ったようなことを書きましたが、どれが一番良いのか、具体的にどのように異なるのかハッキリしません。これらは別々の型ではなく、イメージであり、味わいです。また、昔の弓術書には、五箇の手の内のうち相応しいと思うものを用いよとあります。例えば鵜の首が良い人には鵜の首を、鸞中が良い人には鸞中を用いなさい、これを「時の手の内」と云います。

5.押手の五品について


五箇の手の内は極意であるため初心者には掴み難いです。むしろ押手には型による分類としての五品があります。

押手の五品は、「中押し」「下押し」「上押し」「入り過ぎ」「控え過ぎ」の手の内です。中庸である中押しが最良であり五重十文字に叶っているが、他は偏っていて好ましくないものです。

「中押し」は中四角の手の内(三隅の手の内)とも呼ばれます。これを行うには、天文筋の上下を弓の外竹に軽く押し当てたまま、虎口を巻き込むようにし、弓の中心に虎口の中心を一致させ、親指を伸ばして水平に定め、小指・薬指・中指の三指を親指に近づけて、揃えて小さく握り、掌根には卵を握るように空間を保ったまま(弓の握りにくっ付けない)、虎口の線で水平に押すものです。

「下押し」は「べた押し」とも云われ、多くの初心者に見られる手の内です。手の内が弓に対して斜め上向きになり、掌が全面的に密着して角見も押しも働かないものです。これは弓手に力が無いこともありますが、打ち起こし・大三で上に上げるため弓手が斜め上になってしまうのです。手首の関節を柔らかく使って弓に直角にすることが肝心です。

「上押し」はこの逆ですが、よほど指が長い人でなければ、初心者にはなりません。小指が逃げないように注意すれば、中押しになります。

「入り過ぎ」は角見を働かせようと捻り過ぎると、引き分けの途中で手首が滑って入り過ぎて角見が効かなくなります。

「控えすぎ」はこの逆です。大三の位置で控えすぎると、押す力が入らなくなり角見が効かなくなります。虎口の中心を弓の中心に一致させることが肝心です。

6.弓手の剛弱所について


弓道では色々な物に剛弱と云う言葉を使います。これは力の働かせるときの微妙なポイントという意味です。

「弓手の剛弱所」の剛は弓手を意味して言葉の重複ですが、弱所は手首の脈所を意味するので、手の内はこの脈所の使い方が肝心であると云えます。

手の内の五品について書きましたが、上下左右に過ぎるとき矢は逆に弱ることから弱と云う言葉が用いられました。手の内は中央に保つことがポイントです。

「上に過ぎれば矢は下に弱り、下に過ぎれば上に弱る」、また「入れ過ぎると後ろに弱り、控え過ぎると前に弱る」。つまり、手首の脈所の微妙な働かせ方を試しつつ、感じ取ることが修行です。

7.「微動だにしない弓手の離れは正しいか」


離れで微動だにしない弓手を究極の業であると考えている弓道人は少なくないと思います。左右に釣り合って、五部の詰め合いで納めた会から、そのまま動かない弓手の離れなら、矢はぶれないで真っ直ぐに飛ぶように思えます。言い換えれば、弓手は座標の原点のようなものですから、離れの瞬間にこれが動くと矢は乱れること必定です。

1)「船竿の曲尺」
一方、会では弓手は弓に押され、馬手は弦に引っ張られ、同じ力で釣り合っています。この状態で離れが起きると、弦が弦枕から外れ、弓手も馬手も突っかい棒が無くなったように、飛んで開いて離れが出ます。

伝書には「船竿の曲尺」と云う教えがあります。流れのある川岸に竿を挿して船を繋ぎ留めるとき、船は流れに流されますが、竿に繋がれているので、竿と船は引っ張り合って釣り合います。船を弓手に、竿を馬手に例えるとき、張り合っている綱を真ん中からふっと切れば、船と竿は両側にさっと別れるように、弓手と馬手も至極自然な離れとなります。

2)八節の図解より
弓道教本の図解の会と残身を見比べるとき、弓手はあまり動いていないように見えますが、定規を当てて測れば、両肩の水平線まで下がって開いていることが判ります。

体格にもよりますが、会において矢は口割の高さで(肩より約13儿發)、両肩に平行(両肩軸線からも約13冓仗帖砲箸覆辰討い襪里如弓手は肩口から右上45度方向に約15僂琉銘屬砲△蠅泙后E方向に押している状態で自然に離れると、その分力が作用して開き、残身では肩口からの水平線上に伸びて止まるはずです。日置流ではこれを四寸八寸の離れ(弓手が12僉馬手が24儚く中離れ)と云います。

3)現代弓道の離れ
現代弓道では大離れを推奨していますが、馬手は大離れで伸びているのに、弓手だけ微動だにしないのでは釣り合いません。それは昔の名人のように小離れの場合の名残ではないでしょうか。

したがって、弓手の働きは離れで止めるのではなく、両肩口を効かせて伸び合って自然に離れるとき、鋭く動きの小さい離れが望ましいと思います。

8.弓返り、弓返し、打ち切り


先日、二人の高校生と一緒に練習しましたが、二人とも残身で弓が10僂曚浜遒舛董¬霎△裘曚両紊里曚Δ魄っていました。離れの瞬間に握りを緩めて弓を廻す最悪な弓手の離れであるのに、本人は弓が廻っているので良いと思っていました。「結すんで、開らいて、また結すんで」は離れではありません、廻しているのです。また先生や先輩から、弓手は強く握るな、緩々にしなさいと教えられた結果かも知れません。それは間違いです。

昔の弓の伝統を受け継ぐ小笠原流の歩射では、甲矢は打ち切り(弓返りさせない)で行い、乙矢は弓返りするように行うと聞きました。昔の戦場の弓では、一射ごとに弓返りするのは速射ができないので不利です、打ち切りで強く早く射るようにします。しかし、正確に射るためには弓返りのほうが安定すると考えたと思われます。

弓手手の内は、「如何程も強く」と考えて働かせるべきであり、三隅の手の内(中四角の手の内)を体得し、角見の働きを感じ取ることが肝心です。こうするとき、弓手は鋭く良い離れがでて、的中も向上するが、残身は打ち切りとなり弓は回らないでしょう。しかし、これで良いのです。これを続けてゆくうちに、いつの間にか弓返りするようになります。

しかし、まだ手の内が判らない初心者の内に、弓を緩々に握る習慣を身に付けると、「五部の詰め」も緩んで、「五部の緩み」となって、どうにもならない射となってしまいます。

三段の条件に「弓返りすること」があります。これは正しい基準の手の内を身に付けて練習してゆくとき、「弓返り」が自然に身についてくるはずであり、そのレベルが三段程度と判断して定めたものと思われます。したがって、弓が返れば三段と認められるわけではないのに、その辺を誤解して練習したのでは本末転倒と云うべきでしょう。

離れで緩めてしまう方は、この際改めて初心に戻って、弓を廻すのではなく、きちんとした手の内を作り直すことを勧めます。まずは弓が廻らなくても、基準の強い押手を会得することが肝心です。柔らかい手の内は続けていくうちにできるようになってきます。

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