home >  弓道四方山話 > 巻の拾壱 「流水の巻」

11-18 六百年前の伝説上の人物の子孫との出会い

1.インターネット情報

 平成23年9月初め頃、射法.comにY.安松さん(弓道はやらない)という方からメールを頂き、「先祖の系譜を調べていたら、安松左近丞吉次という名前があるが、竹林流の先祖ではないか」と云う情報を頂き、本当に驚きました。

 これが事実ならば、約600年も前の伝説上の達人の家柄が連綿と続き、現代まで歴史が残っていることに驚くとともに、わざわざご連絡頂いたことは、まさに奇跡のようなことと思います。安松家が現存していることは、竹林流の関係者の誰も知らないことですが、まさにインターネットの威力によるものと云えましょう。

2.日置流竹林派の系譜

 竹林派の継承については、11-13「日置流から竹林坊への継承の謎」に書きました。伝書によれば、日置流には日置弾正正次が伝えた大和の日置と日置弥左衛門範次が伝えた伊賀の日置の二つの流れがあり、当流は伊賀日置の流れです。

 日置弥左衛門は1418年に安松左近丞吉次(伊賀の住人)に伝授し、(安松新三郎、弓削甚左衛門正次を経て)、1505年に弓削甚左衛門繁次に伝えました。

 しかし、繁次には相伝すべき人物がいなかったため、日置流弓書を神社に奉納して継承は中断しましたが、後年に竹林坊如成が日置流の奥義を窮め、1551年にこの日置流弓書を請出して継承し、日置流竹林派と呼ばれました。

3.嵐の真っ只中

 平成23年9月21日にお話を聞く約束をしたのですが、偶然にも台風15号(紀伊半島などで大水害)が関東地方を縦断して直撃となり、嵐の真っ只中の騒然とした状況でお会いしたのは印象的でした。それでも、安松家の系譜や逸話などをお聞き致しました。

 この日は交通機関が止まって大変でしたが、私はかろうじて難を逃れ無事に我が家にたどり着けました。

4.安松家の歴史の概略

 年代が前後している部分があるので、それを調整すれば

1)安松家の系譜は桓武天皇から始まる平氏の家系が15代続いている。

2)伊賀の豪族柘植氏(平家の後裔)から安松家が分れた。(後年、柘植本家は天正伊賀の乱で織田信長に滅ぼされた。)

3)日置流竹林派の伝書からの記述 安松左近丞吉次は弓術の達人となり、日置弥左衛門から1418年に伊賀日置流の印可を受け、その子安松新三郎から弓削甚左衛門正次へ継承した。

4)安松矢之助は吉次の150年後裔であるが、身長六尺四分の豪傑で、弓矢の達人であったことから、「矢之助」の名前を頂戴した。矢之助は徳川四天王の榊原康政の家臣となり、1564年に今川攻略で功を挙げ、東照宮から褒賞され、掛川城の戦い、三方原の戦、長久手の戦いでも殊勲を上げた。

5.伝説から現代へ

 現代の安松氏も身長六尺の堂々とした人物で、どこかリーダー的なイメージと、侍らしい雰囲気を併せ持つ方でした。豪傑矢之助のDNAを現代まで受け継いでいるように思われました。

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